「タリウス」

 兵舎を出たところで後ろからユリアに呼び止められた。ここのところお互いに忙しく、毎日顔を合わせているものの、まともに言葉を交わすのは久しぶりだった。

「今日はこれで終りですか」

「ええ。手紙の代筆など、帰ってからもやる仕事はありますが」

 自分の知る限り、ユリアはあまり仕事を選ばない。あちらこちらで声を掛けられるままに、次々と雑多な仕事を請け負う。本業が多忙な今は、ろくに休む暇もないらしく、いつもの笑顔にも陰りが見えた。

「少しは仕事を選んだらどうですか?割に合わないでしょう」

 手紙や書類の代筆は、時間ばかり掛かる反面、報酬のほうは高が知れている。

「仕事と言うより、恩返し、みたいなものなんです」

「恩返し?」

「仕事がなくて食い詰めそうになっていたところ、代筆の口を見付けてくださった方がいらして。その方の伝てなんです。ですから、断れなくて」

「なるほど」

 実際に先方から強要されているわけではなく、あえて自ら断らないというほうが正しいのだろう。実に彼女らしい。

「それに以前は、それこそ何でもやりましたから。選んでいるほうですよ、これでも」

「一体どんなことをしていたのですか、以前は」

「い、言えません!そんなこと」

 途端にユリアは血相を変え、パタパタと手で顔を扇ぎ始めた。そこには何やら踏み込んではならない事情があるようだった。

「宿へ帰るのでは?」

 角を折れたすぐそこが彼らの住まいである。しかし、彼女はそのまま道を直進しようする。

「桜が咲いたかなと思いまして。この先に綺麗なところがあるんですよ」

 この近辺にそんな場所があるとは知らなかった。ここに住むようになって随分経つが、未だに近隣の地理には暗い。

「本当は夜桜のほうが綺麗なんでしょうけど、流石に背中が寒くて」

 世間知らずな彼女にもそのくらいの危機感はあるらしい。だが、辺りを見回せば、ときは既に暮れ。これでは帰る頃には暗くなっているかもしれない。なんとなく心配になって、自分も同行すると伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。