シェールを養子に迎えて以来、穏やかに月日は流れ、この夏、愛し子は再び誕生日を迎えた。それに伴い、彼らの生活が少しだけ変化した。シェールが学校に通い始めたのだ。これはひとえにタリウスの勧めによるもので、積極的に同じ年頃の子供と交わらせることを目的とした。思惑どおりに、シェールが多くの友を得たその一方で、ほんの少し親子の仲が疎遠になった。

 ある夕方のこと、二階の窓からシェールがしきりに顔を覗かせていた。彼は自室の出窓によじ登り、獲物が掛るのを待っていた。

「あ!」

 待ち人の帰宅にニヤリ、口許を緩める。

「あれ?」

 しかし、そこで予想外のことが起こった。兄の隣りを連立って歩くもうひとつの影を見付けたのだ。

「ダメ!そこは踏んじゃ…」

「え?」

 頭上から降った叫び声に、ユリアは歩む速度を緩めた。と、そのとき、唐突に地面が沈む。

「きゃっ!」

 パキパキと足場が崩れ、そのまま地に足を取られる。彼女は咄嗟に隣りに助けを求め、タリウスが即座にそれに応える。彼はユリアの細腕を掴み、身体ごと自分のほうへ引き寄せた。

「大丈夫ですか」

「ええ。ありがとうございます」

 安堵のため息を吐く二人の前に、ぽっかりと地中深く空いた穴ぼこが出現する。

「ヤバイ」

 二階で少年が呟き、

「シェール!!」

 外では雷が落ちた。


 そこから先は殆ど記憶にない。気付いたら膝の上へ組み伏せられ、尻を剥かれ、悲鳴を上げていた。

「やだぁ!!」

「どうしてお前はこうくだらない悪戯ばかりするんだ」

 ビシャビシャと雨の如く平手が降り注ぐ。少し前のシェールなら、とうに音を上げている頃合いである。しかし、普段から散々しごかれ、痛みや怒られること自体に多少の耐性が付いた今、この程度で泣くようなことはなかった。むしろ、あっさり捕まったことのほうが悔しい。

「くだらないだけではない。落ちて怪我をしたらどうする?危険なことだとわからないのか」

「だって、ふたりで帰って来るなんて思わなかったんだもん」

「どういう意味だ」

 ぱたりと平手の雨が止む。

「え…」

 ようやく失言に気付き、途端にシェールは青くなった。

「誰を狙った?」

「えっと、んと…」

「言え」

「………お、お兄ちゃん」

 有無を言わさぬ恐ろしいげな雰囲気に、重い口が割られる。

「ほう。大した度胸だ」

「や、やだー!」

 自身の身体がしっかりと膝へ抱え直されるのがわかり、シェールは背中がぞっと寒くなるのを感じた。

「それだけは褒めてやろう」

「や…!やだ!いったい!!」

 再開されたお仕置きは予想を超える痛みを伴う。堪らなくなったシェールは両足を蹴りあげ激しくもがいた。

「当然、こうなることは覚悟の上だろう?」

「やだ!痛い!痛い!!」

「お仕置きだからな、痛いのは仕方ない」

 どんなに暴れようと、逃しはしない。屈強な手は確実にシェールのお尻を捉えた。

「あーん!もう、やぁっ!やだ!ごめんなさいぃ」

 これ以上は我慢が出来なくて、涙と共に謝罪の言葉が溢れる。

「俺に喧嘩を売るならもう少し頭を使うことだ」

「うぅ…」

 闇討ちしたところで敵う相手ではない。これでも相当考えたつもりだった。

「二度とこんな悪戯をするんじゃない。少しは人の迷惑を考えろ。良いな」

「………っく」

 何をやっても悲しいくらい敵わない兄を一度くらいぎゃふんと言わせると決めたのだ。それも、目下のところ、落とし穴作戦以外に有用な手立てがない。そう思いだんまりを決め込んでいると、またしてもお尻に衝撃が走った。

「返事!」

「はいっ」

 しかし、それがあまりに痛くて、ついつい返事を返してしまう。これでやっと罰からは解放されたが、胸の中はたまらなく悔しいおもいでいっぱいだった。

「下へ行って、元どおりに戻して来なさい」

「今!?」

 ひりひりと痛むお尻を擦りながら、シェールは兄の顔を見上げる。

「明日の朝までで良い」

 そうは言っても時期に日が暮れる。つまりは同じことである。恨みがましい視線を兄へ向けるも、当の本人は全く気に留める様子がない。諦めの境地で、シェールはのろのろと自室を後にした。