その日、当直勤務に当たっていたタリウスは、早々に夕食を済ませ教官室へ籠っていた。
今年は例年に比べ、本科生、予科生共に著しく成績が悪い。それも剣技や格闘技といった技術的習熟度に加え、精神的成長もまた極端に低かった。長きにわたって平和な世の中が続き、士官に対する世間の見方も変わり、全般的に候補生の水準が下がったのが一因である。それでも士官として世に送り出す以上は、彼らの能力をある程度まで底上げしなくてはならない。上からは日々矢の如くそのことを言われていた。
彼は指導記録とここ数年の資料とを見比べ、あれこれと策を巡らせていた。
しばらくそうしていると、ふいに戸が叩かれる。入室許可を得て、恐る恐る戸が開かれた。見れば、料理番の男が遠慮がちに顔を覗かせていた。
「すいません。今日は何か特別な訓練でも?」
「いや、特段聞いていないが」
「それにしちゃ本科生がひとりも食事に来ないんですけど」
軍人は身体が資本である。よほど重大な規則違反をした場合を除き、食事を抜くようなことはまずない。
「すぐに確認する」
彼は本科生の居室へ向かい、片っ端から戸を開けた。だが、どこもかしこも不在で、まるで人の気配がない。
次いで、階下へ向かい在席票を確認すると、どういうわけか全員が外出中だった。今日は室内演習場で訓練があったが、それもとうの昔に終了している筈だ。彼は首を傾げながら演習場へと向かった。
誰もいない筈の演習場から複数の声が漏れてくる。掛け声と言うより奇声である。彼はその中に一際通る怒声を聞いた。まさかまだ訓練をしているというのか。
「な…」
扉を開けると、異様な光景が飛び込できた。恐ろしいまでの熱気が辺りを包み、鼻を衝く汗の匂いは普段の比ではない。少年たちは、教官の号令の元、決められた型どおりにひたすら模擬剣を振るっていた。どの顔ももはや限界寸前である。
「おい!」
そのとき、彼の目の前で少年がひとり床へと崩れ落ちそうになる。寸でのところでその腕を取り、支えてやる。
「み…ず」
少年は自分にすがり、白目を剥いた。かれこれ5時間近くはやっている計算になる。無理もなかった。
「そこ!何を甘やかしている!」
教官が吠えた。
「一体どういうことですか」
「見てのとおり、強化訓練だ。どうだろう、君も混じるかね」
「先生、ちょっとこちらへ」
「何だね」
「申し訳ございませんが、こちらへいらしてください」
強引に上官を伴い、タリウスは演習場の外へ出る。
昨今の候補生たちの不振振りに、一番心を痛めているのは他でもなくゼインである。彼はここ数日当直でもないのに兵舎へ泊まり込み、殆ど休んでいない。部下たちへ檄を飛ばすも結果は芳しくなく、業を煮やして自ら動き出したのだろう。だが、それにしても些か度が過ぎはしないか。
「水も飲ませずこんな訓練を続けていたら死んでしまいます」
「それがどうした。だいたい一度戦場へ出たら休憩などないし、そう都合良く雨が降るとも限らない」
「それはそうですが、彼らはまだ未熟です」
「ああ、そのようだ。知っているか、ジョージア。彼らは己の至らない点を咎められると、全力で出来ない理由を並べ立てるのだよ。そんな愚かしい、腰抜けに育てたのは一体誰だ」
「申し訳ございません。お怒りはごもっともです」
それに関しては、怒鳴られて然り、罰せられて当然だとは思った。
「わかったら私のやることに口を挟むな」
「ですが急激にこんなことをされては…」
「くどい!」
「こんな訓練に意味があるとは思えません」
「意味などなくて結構」
このまま口論をしても話は平行線を辿るばかりである。話は終わったとばかりに立ち去ろうとする上官を前に、タリウスは腹を決める。
「私の指導が至らないとおっしゃるのなら、私をご指導ください」
ぴたりとゼインの歩みが止まる。
「言ってくれるね。もはや私など怖くないというわけか」
「怖いか怖くないかで言えば間違いなく前者です。それでも、そんなことばかり言っていられません」
「なるほど」
部下を一瞥し、ゼインは演習場へと戻る。部下はそれを追う。
少年たちの視線が一斉に教官に注がれる。驚いたことに、誰ひとりとして勝手に休んでいる者はいなかった。
「そうそう簡単にひとは死なない」
上官は自分に向かって囁き、続いて少年たちに訓練の終了を告げた。
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