「ミゼット、どうした…!」

 目の前に広がった異様な光景にゼインは言葉を失う。ガラスの破片が大量に散らばり、
その中心にミゼットが佇んでいた。

「何をしているんだ」

「つい手が滑ってしまったの。わざとじゃない」

「こんなにたくさん?」

「ええ」

 言っているそばから、彼女は手にしていた皿を落とした。

「いい加減にしないか」

 ガラスの破片を器用によけながら、ミゼットに歩み寄り腕を取る。

「離して」

「ミゼット?」

 掴まれた腕を振りほどこうと、彼女は本気の抵抗を試みる。ゼインは思わず手を緩めた。

「もうほっといてよ」

「放っておけるわけがないだろう」

「いいからかまわないで」

「何があった?」

 心配そうに様子を窺うゼインに、何も言えなかった。言えるわけがない。

 そのとき、一瞬視界に入った指輪がすべての元凶のように思えた。彼女は乱暴に指輪を
抜きとり、ゼインへ向かって投げつけた。

「もうほっといて」

「わかった。これ以上私も付き合えない」

 静かに告げるゼインを見て、ぽろぽろと涙があふれ出した。彼女はそのまま膝を折って
号泣する。背後で戸を閉める音が聞こえた。

 事情はさっぱりだが、ともかく彼女が自分を拒絶していることだけは明らかだった。どん
よりとした気持ちを抱えたまま、ゼインは街へと戻る。この格好のままふらりと入れるところ
と言えば、士官御用達の居酒屋くらいしかない。気は進まなかったが、ともかく手近な店に
入った。

 外で食事を摂るのは久し振りだった。ミゼットが移り住んできてからというもの、彼女がい
るときはもちろん、不在のときにも家にあるものを適当に摘むのが習慣になっていた。知ら
ず知らず甘え過ぎていたか。そして、そのことがまた彼女の許容量を超させてしまっただろ
うか。

 カウンターに空席を見付け、腰を下ろす。周囲の視線が痛い。仕事柄どこにいても煙たが
れるのが常だが、それにしても今夜は異様だった。

 負の気持ちを一掃しようと、駆け付けに一杯やって、グラスを置いた。

「お久し振りです」

 自分に向けられた声に視線だけ上げると、知った顔が頭を垂れていた。彼は自身が初め
て手掛けた教え子のひとりだった。 時折顔は見るが、声を掛けて来るのは珍しい。

「よろしいですか」

 問われるまま、グラスを横にずらした。誰かと話をする気にはなれなかった。

「あいつ、まだ落ち込んでいますか」

「ミゼットか。落ち込むというより、荒れていたが」

 てっきりかまを掛けられているのだと思った。しかし、あれこれ考える気にもならず、彼は
感じたままに言葉を返した。

「それって少しはマシになったってことでしょうか。今回ばかりは流石に堪えてるかと思った
のですが」

「何の話だ。何を知っている」

「ご存知ないんですか、処分のこと」

「処分?」

 レックスは慌てて、自身の知り得る限りの事情を掻い摘んで話した。

「全く救いようのない奴だな」

 言いながら笑いがこみ上げてきた。

「先生?」

「それは私に言えないわけだ」

 ゼインは笑いを噛み殺そうと必死だ。

「女同士ってなかなか面倒そうで、だからあいつは単に罠にはまっただけかもしれません」

「彼女の思考は単純明快だ。大方、売られた喧嘩は買わないと勿体ないとか、そんなとこ
ろだろう」

 ほぼ正解だった。よく見ているものだとレックスは心底感心した。

「相当落ち込んでいると思うんで、出来ればあまり責めないほうが…」

「私だって家の中でまで教官をやっているわけではない。心配には及ばない」

 そのことを理解していない元教え子を家にもひとり残してきたが。

「悪いが勘定を払っておいてくれ。急用を思い出した」

「こんなに要らないですよね」

 差し出された硬貨は多過ぎるにもほどがあった。言うが早い、颯爽と戸口へ向かったゼ
インをレックスが呼び止める。

「ひとりで来たわけではなかろう」

「申し訳ありません、こんな…」

「私のほうこそ助かった。ありがとう」

 にこやかに微笑む師を見ながら、端から勝負にならないわけだと彼は自嘲気味に笑うの
だった。