「先ほどはシェールがご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ございませんでした」
「いえいえ、子供のしたことです。お気になさらないでください。それに、彼なりに責任を
取ってこちらに来ましたしたから。本当に良い子に育ちましたね。いえ…」
教父長はそこでタリウスへ視線を投げ掛ける。
「良い子に育てましたね」
「そんなことは。シェールは…もともと良い子です。それは彼の両親の功績で、私はその
後を引き受けたに過ぎません」
そうですか、教父長が微笑む。
「ところで、農業のご経験は?」
「いえ、ありませんが」
彼は教父長につられ、窓へと目をやる。窓の外には実りを迎えた畑が見えた。
「作物は手を抜き世話を怠れば、たちまち枯れ、そうでなくとも目に見えて収穫高が減り
ます。それと一緒にされるのは心外かもしれませんが、根本は同じです。シェールが今こ
の瞬間、元気に駆け回っていられるのはあなたの功績ですよ」
シェールを引き取ったばかりの頃は、一体次は何をしでかすのかと、気が気ではなかっ
た。それが落ち着くと、今度は自身の言うことを聞かせようと躍起になった。そして、今で
はふたりでいることを楽しめるようになった。努力もしたが、自然とそうなったのだ。
「ただ、どんなに手を掛けたからといって、必ず良い実がなるとは限りません。悪天候や
病害虫など、人間にはどうにもならないこともあります。子供が成長すればそれだけ問題
が増えますし、質も変わります」
もちろんタリウスもそのことは理解していた。無邪気な笑顔の下に、時折見る大人びた
横顔。それはやがて訪れる新たな波乱を示唆しているように思えた。
「あくまでもひとつの提案として、聞いてください」
「はい」
「シェールを養子にするお気持ちはありますか」
「養子に?」
「あなたはきちんとした方ですから、法的な親子にならずとも、シェールについての責任を
果たしてくれるとは思います。もしそうなれば、精神的な負担も増えるでしょうし、いろいろ
と制約も出てくるでしょう。ですから、もしお気持ちがあれば」
彼とて今まで全くそのことに考えが及ばないわけではなかった。実際、シェールの行方
がわからなくなったときには、弟を心配する傍ら親だと名乗れない歯がゆさを感じた。し
かし、そうかといって簡単に決められることではやはりなかった。
「しばらく考えさせてください」
彼は神妙な面持ちで部屋から辞した。
夕暮れ時になっても、腹は決まらないでいた。膠着状態の思考を打破すべく、戸外へと
出た。風に吹かれながら、自然と足が向いたのはマクレリイの墓前だった。
旧友とその夫が眠る前で、彼は膝を付いて頭を垂れる。エレインの夫、シェールの父親
とも面識はある。中央の部隊にいたときに、一時的に彼の部下として働いた経験があるの
だ。そのことが、シェールを養子として迎えることを、上官のものを横取りするような気分
にさせた。
背後から足音が近付いて来たと思ったら、ぴとっと何者かが背中にくっつく。
「シェール」
「そのまま!そのままでいて」
弟はどうやら泣いているらしかった。お仕置きのときには、臆面もなく泣きわめくくせに、
今は自分に涙を見られたくないのだろうか。
「どうした?」
「リュートと遊んで楽しかったし、昔に戻ったみたいだった。だってみんな変わってないし、
どこも前と同じで。だけど、ママだけがいない」
「シェール」
「そんなの当たり前だってわかってる。わかってるけど、でもあっちこっち捜して、やっぱり
いなくて、もうどうしようもなくなって。でも、今お兄ちゃんの背中を見たら、なんだかすごく
安心した」
その言葉を聞き、タリウスは堪らなくなって、背中の子供を自分のほうへ引き寄せた。
「シェール」
「だから、もう大丈夫。僕、もう、泣かない」
涙の残る目が笑い、白い歯がニッと光る。
「お前は強いな。流石はマクレリイの子だ」
「でも、今はもうお兄ちゃんの子だよね」
タリウスに頭をなでられ、嬉しそうにシェールが言った。
「…そうだな」
彼は背後のマクレリイ夫妻をチラリと振り返る。そして、シェールに向き直る。
「お前は兄ちゃんの、自慢の息子だ」
「………へ?」
聞き慣れない単語に大きく目を瞬く。だが、タリウスがあまりにやさしい表情をするも
のだから、何だか勿体なくなってそれ以上何も言えなくなった。唐突に、弟にしてと言っ
たあの日のことが思い出された。
了 2010.10.17 「帰郷」