「ここからひとりで行くか」

 墓地の入口でふたりは歩みを止めた。

「うん、そうする」

「今日は一日お前の好きにして良い。久し振りに行きたいところも、会いたいひともいるだ
ろう」

「お兄ちゃんは?」

「俺は教会で待っているから、何かあったら来なさい」

「うん、わかった」

 小さな花束を手に、シェールはゆっくりと墓地の中を歩いた。

「ママ、そこにいる?パパにはもう会えた?」

 墓石は答えない。

「僕、あれからまた誕生日が来たんだよ。みんなお祝いしてくれた。それから、今度剣を
習うんだ。ママやお兄ちゃんみたいに強くなるんだ」

「なれないよ」

 墓石が答えた。

「え!」

「お前みたいな泣き虫が強くなんかなれるわけないじゃん」

「リュート!!」

 墓石の後ろによく見知った顔を見付けた。

「相変わらず泣き虫だな、シェールは」

「な、泣いてないもん」

 確かにあと少しで泣きそうではあったが、まだ涙はこぼれていない。だからセーフだ。

「誰としゃべってたんだよ」

「良いじゃん!誰だって」

 誰もいないと思っていたのだ。あの恥ずかしい独り言を聞かれていたのかと思うと、顔が
赤くなる。

「お前本当馬鹿だな」

「リュートに言われたくない!」

「なんだよ本当のことだろう。この前だって、何も言わずに街を出てっちゃうし」

「だって、それどころじゃなかったんだもん」

 正直なところ、街を出たときの記憶が全くもってなかった。

「それどころっ!!」

 うっかり放ったその一言がリュートに火を点けた。

「ちょっと!何するんだよ」

 突然突き飛ばされ、これには温厚なシェールも黙っていられない。やられたら倍にして返
せ。それがマクレリイの掟である。

「いてっ!生意気なんだよ。泣き虫!」

「うるさい!何回も泣き虫って言わないでよ」

 こうなればもう収拾がつかない。あっというまに取っ組み合いの喧嘩が始まる。一見して、
体格の良いリュートのほうが優勢かと思えた。だが、腕っ節の良さはシェールのほうが上で
ある。彼はリュートを地に倒し、馬乗りになった。その下では、リュートが頬を抓り必死の抵
抗を試みる。

「何をしているんですか!!」

 突如響いた品の良い怒声にぴたりとふたりの動きが止まった。

「一体これはどういうことですか!」

 続く怒鳴り声に、彼らは正気を取り戻す。起き上がり、小さくなって声の主の前に並んだ。

「シェール、あなたは自分の両親の墓を踏み荒らして。恥を知りなさい」

「ごめんなさい」

 言われて初めて、自分が何処にいたのか思い出す。

「リュート。あなたは口が悪いから、また心無いことを言って、友達を傷つけたのでしょう」

「ごめんなさい、教父長様」

「罰します。付いてきなさい」

 ハッとしてふたりは顔を見合わせる。互いになんとも情けない顔をしていると思った。

「シェール、あなたは結構です」

「どうしてですか」

「あなたはもう、ここの人間ではありません」

 教父長の言葉にぽっかりと心に穴が空いた心地になる。リュートの恨みがましい視線も
痛かった。

 シェールはそのまま彼らと共に教会へ入り、少し考えてから兄の待つ部屋へ向かった。

「お兄ちゃん」

「ん?どうした?」

 兄は泥に汚れた弟を訝しげに見返した。

「お墓で友達に会ったら、喧嘩になった」

「喧嘩をするなとは言わないが、もう少し場所を選べ」

「うん、教父長様に見つかって叱られた」

「お前は…」

 タリウスは溜め息を吐き、額に手をやる。

「それで、リュートは罰をもらったんだけど、僕にはくれなかった。良いのかな、それで」

「良くないとわかっているから、ここに来たんじゃないのか」

 全く良い子に育ったものだ。彼は腹の中で笑った。

「ほら、お仕置きしてやるからおいで」

 彼は読み掛けの新聞を畳んで、隣りへ置く。そして、ぽんと膝を叩いた。

「うん」

 そうは言ったものの、なかなか一歩が踏み出せない。

「こんなことをされなくても反省出来ると言うなら、それでも良い。だけど、喧嘩の相手は
そうではなかったんだろう」

「うん」

 リュートの視線が脳裏をかすめる。シェールはおずおずと兄の前へ進み出た。あとは
いつもと同じである。膝へ横たえられ、お尻をむかれる。直前の会話から、今日の兄は
あまり怒っていないと思った。それ故、厳しいお仕置きにはならないかもしれない。

「いった!!」

 ところが、初めの一打を受けて、その期待は無残にも打ち砕かれた。予想を越える痛
みに、シェールは身体をくねらせる。構うことなく、連続的に平手が振り下ろされた。

「出掛ける前、お前は俺に何と言った?」

「ほえ…?」

 お尻の痛みと闘いながらなんとか思考するが、兄が何のことを言っているのかすらわか
らなかった。

「良い子にすると自分で言ったんだろう。良い子が聞いて呆れる」

「あ…。そうだ、ごめんなさい」

 弟の謝罪を聞いたところで、タリウスはお仕置きする手を止めた。そのまま着衣を直し、
床へ下ろす。

「それで、喧嘩には勝ったのか」

「うん、あのままいけば多分勝ったと思う」

「そうか」

 流石に労いの言葉を掛けるのはまずかろう。そう思い、それだけ言うのに止どめた。

「僕、もう一回出掛けてくる」

 シェールは痛むお尻を擦りながら、落ち着かない様子で出て行った。

 教会の中を彷徨っていると、リュートに会った。

「何でシェールも泣いてんの?」

「んーと、たぶんリュートと同じ」

 リュートの手もまたお尻にあった。

「あの人にやられたのか?待ってろ、今カタキを…」

「良いんだって。僕が自分でお仕置きされに行ったの」

「何で?!」

 怒ったかと思ったら今度は目を丸くして、そんなリュートを見ていたら急に懐かしくなっ
た。一緒に悪戯して、一緒に叱られて、以前は暇さえあればふたりで遊んでいたのだ。

「教えなーい」

「なんだよ!」

「ごめんね、リュート。僕、本当にあのときは何も考えられなかったんだ。ママがいなくなっ
て、お兄ちゃんに弟にしてもらって…」

「別に良いよ、もう」

 何も恨み言が言いたかったわけではない。ただあっさり忘れられたことが虚しく、そして
淋しかった。

「それよりシェール。これから遊べる?」

「うん、遊べる」

 ふたりしてわーっと駆け出しそうになって、はたと思い止どまる。少なくとも教会の中に
いる間くらいは良い子を貫かなくては、お尻がもたない。