モリスン夫人との対面は極めてつつがなく進行した。

 年相応の落ち着きがあり、それでいて商家の人間らしく、人懐こく活発な一面もある。もち
ろん、娘同様掛け値なしの笑顔をも備えている。それが、夫人に対してゼインがもった印象
である。

「ミゼット、ちょっとお使い頼まれてくれない?」

「良いけど、何?」

 夫人がこう切り出したのは、食事を取り終わり、給仕が何杯目かのお茶を注いでいるとき
だった。

「お部屋に日傘を忘れてしまったの。悪いけど、取って来て」

「日傘くらい買ってあげるって」

 ここから両親の宿泊場所まではかなりある。母の頼みとはいえ、億劫なことこの上なかった。

「だめよ。私はあなたと違ってお日様とはこれっぽっちも仲良くしたくないんだから。それに、
あれはパパに買ってもらった傘なの」

「わかった」

 ミゼットはしぶしぶ立ち上がり、隣りに座ったままのゼインを見る。てっきり一緒に来るとば
かり思っていた。

「あなたは行かないで頂戴よ」

「ちょっとママ」

 突然仕切り始める母にミゼットは異議を唱えた。当のゼインはと言えば、眉ひとつ動かさな
かった。

「良いじゃない。もっとミルズさんとお話したいわ」

「あのねぇ…」

「ママのお願いが聞けないって言うの?」

 最初からそれが目的か。もう一度ゼインへ目をやると、何事もなかったように微笑み返され
た。

「ねえ、ママ。ひとつ聞くけど、日傘は本当に忘れたの?」

「まさか。日焼けしたくないって言ったじゃない。ねえ?」

「そうですね」

 涼しい顔で受け答えるゼインを見て、元より母の企みに気付いていたのだと悟る。

「でも、パパに買ってもらったっていうのは本当よ」

「はいはい、どうぞごゆっくり」

 悔しいが、これ以上発言すると空しくなるばかりである。そう思い、彼女はすごすごと立ち去
った。

「思ったより随分元気そうで、安心したわ。あなたのお陰なんでしょうね」

 娘の背を見送りながら、夫人が呟く。

「そんなことはありませんよ」

「あの娘がこっちへ帰ってきてすぐに、ちょっとだけ会ったんだけど。打ちひしがれて、
そりゃあもう酷い有様だったわ」

「ああ…」

 地方から中央に戻り、数年振りに自分を訪ねたミゼットは確かにひどくやつれていた。

「大切なひとを亡くしたと言っていたけど、でもそれだけで、後は何も話してくれなかった」

「あのときは候補生時代の友人が亡くなって、その知らせを聞いたのも随分経ってから
でしたから。彼女も堪えたのでしょう」

「それって、エレイン=マクレリイのことかしら」

 ゼインが頷き、やっぱりと婦人がため息を吐いた。

「彼女は実家と縁を切っていたから、休みの度うちへ帰って来ていたの。ミゼットと一緒
にね」

 ゼインは彼女たちの指導教官である。当然そのことは知っていたが、敢えて黙ったまま
相槌を返す。

「そう、そりゃ辛かったでしょうよ。なのに私、あの娘に何も出来なかった。時間がなかった
なんて言い訳よ。母親なのに」

 自己嫌悪にくれる母親を前に、彼は掛ける言葉を持ち合わせていなかった。

「あれからずっと気になっていたんだけど、今日会ってみたらどうよ。相当元気じゃない。
だから、すぐにあなたの功績だとわかった」

「彼女はなまじ何でも出来てしまうから、ついついひとりで抱え込んでしまう。私はその中の
ひとつを持ってやったに過ぎません」

「あらやだ。女の子の荷物持ちは大変よ」

 言って、夫人はくすくすと笑った。

「あり…」

「ひとつよろしいでしょうか」

 次の台詞は自身への礼だとわかった。それ故、最後まで言わせるわけにはいかなかった。

「はい?」

「彼女は私のことを何と言って紹介しましたか」

「え…?上官だと聞きましたよ。昔からずっとお世話になっているとも」

 思ったとおりである。彼は自身の予感が正しいことを知った。

「半分は合っていますが、重要な部分が抜け落ちています」

「と、言いますと?」

 夫人が身構える。

「私は彼女の指導教官でした。彼女を軍人にしたのも、北部へ配属したのもこの私です」

「何ですって?」

 途端に夫人の顔色が一変する。

 娘が士官になりたいと言い出したときには猛反対した。その後、娘の意向を受け入れて
からも、適性がないと判断されることを密かに期待していた。娘を軍人に仕立て、おまけ
に手の届かないところにやった人物を恨みに思わない筈がなかった。

「じゃあ、あの娘のことは私以上に知っているのね」

「そういうわけでは」

 いささか強い口調で問われ、彼は柄にもなく怯んだ。

「その上で、それでもあの娘が良いって言うのなら、いいわよ。トンチンカンなところもある
けど、それも飽きなくて良いんじゃない?」

「そう…でしょうか」

 他に言うべきことがあるのだろうが、何故だか言葉にならない。最大の懸案事項をこう
もあっさり受容されるとは思わなかったのだ。

「付き合わせてごめんなさいね。でも、お話出来て良かったわ。ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

 彼は立ち上がり、夫人に一礼する。

「ミゼットは多分この上にいると思うわ。ほら、煙と何とかは高いところが好きって言うで
しょう」

「は、はぁ」

 実の娘相手になかなか手厳しい。

「ねえ、ミルズさん」

「はい?」

 先に立って歩いていた夫人が、ゼインを振り返る。

「よろしければ、夕食もご一緒にいかが?もちろん無理にとは言わないけど」

 満面の笑みでのたまう夫人を前に、この親子には敵わないと腹の中で白旗をあげた。
どこの世界にこの有り難い申し出を断れる人間がいようか。

「もちろん、喜んで」

 そこで、彼もまた極めて涼やかな笑みを湛えた。