その後、タリウスは店主であるアッシュに事情を話し、弟が世話になった礼を丁寧に述
べた。

「別に礼を言われるようなことはしてねえよ。こいつは金が欲しい、俺は人手が欲しい、
それだけのことだ」

「大して役には立つとは思えませんが」

「そうでもねえ。力はあるし、ガキのくせに妙に几帳面で、見てのとおりすっかり片付いち
まった。それよりもだ」

 そこでアッシュは一旦言葉を切って、タリウスの顔をずいと覗き込んだ。

「そこいらの大人よりずっと根性がある」

 そうですか、そう言うタリウスの表情はどこか誇らしげである。

「場合によっちゃこのまま置いてやろうと思ったぐらいだ」

「それはまた随分と見込まれたものですね」

 ほんのわずかに、タリウスが動じる。思えば、弟はこの短期間にこの店と目の前の男
にすっかり馴染んでいる。自分が迎えに行かなければ、このままここで暮らしただろうか。

「それでも、あんたが来た以上は返すから、安心しな」

「はあ」

 己の心を見透かされたようで、なんともばつが悪い。

「と言うか、あいつはあんたのところへ帰りたい一心で、頑張ってたんだけどな」

「そう、でしたか…」

「あんたもこんなことはもう御免だと思っているだろうが、子供のためを思うんなら、大事
に箱にしまってるより武者修行にでも出したほうが良い。子供を守りたきゃ危険を遠ざけ
るのが一番だが…。戦うのが仕事なんだから、わかんだろ」

「はい」

 アッシュの言うことがもっともだと思うと同時に、自分に足らないものを突き付けられた
ような気がした。

「さて、そろそろ帰るか?」


 ミゼットの愛馬にすっかり夢中になっているシェールを呼び寄せ、改めて揃ってアッシュ
に頭を下げる。

「坊主」

 アッシュは上機嫌でシェールを手招きする。初めて親方が笑うのを見た気がした。

「昨日と今日の分だ」

「そんな、もらえない」

 差し出された硬貨に、シェールは手を振る。元々兄の元へ帰ることが労働の目的である。
それが果たされた今、お金を受け取る謂れがないと思った。

「飯も食わないで頑張ったんだ。受け取れ」

「でも」

 兄を振り返ると、無言で笑い返された。もらっておけということだろう。考えた末、シェール
は小さな手を差し出した。

「ありがとう」

「有意義に使えよ」

「うん」

 言いながら、掌の上で硬貨を数える。

「さっき作ってた飴ちょうだい」

「あん?そんぐらいタダでやるよ。そこまでケチじゃねえって」

 今渡したばかりの硬貨が、再び手に戻りそうになるのを阻止する。

「だめ。お菓子作るの、大変だってわかったんだ」

「めんどくせえ奴だな。わかったよ、ちょっと待ってな」

 結局戻ってきた硬貨を手に、アッシュは店へと入って行った。

「ほれ」

「こんなに?」

 手渡された紙袋は重く、明らかに自分の給金以上の価値がありそうだった。

「セールしてんだよ。これ以上やると、兄ちゃんに怒られそうだからよ」

 台詞の後半は声をひそめる。シェールは思わず吹き出した。

「じゃあな。そのうち王都にも行商に行くかもしんねえ。それまで元気でな」

「うん。親方も、元気でね」

 帰れるのは嬉しいが、親方と別れるのは悲しかった。うっかり涙が出そうになる。

「店の前で泣くんじゃねえ」

 すごまれて、なんとかそれを呑み込む。そこで親方と別れて、兄とともに帰路に着いた。

 兄と一緒に、それもミゼットの愛馬で帰ることが出来て、ご機嫌のはずなのに、シェー
ルは終始無言だった。

 二日間、本当にいろんなことがあった。大好きな兄に、余すことなくすべて話したいとこ
ろだが、今は何だかそんな気分になれない。飽和状態の頭をまずは整理したかった。

「お兄ちゃん」

 それ故、シェールが兄へ話しかけたのは街を出てから随分と経ってからだった。

「僕を拾ってくれて、弟にしてくれて、本当にありがとう」

「それが、この二日間でお前が学んだことか?」

「うん」

 学んだことはまだまだたくさんあるが、一番はそこだった。

「食べられることも、眠れることも、心配されることも、ちっとも当たり前じゃなかった。
それを全然わかってなかった」

「シェール」

 タリウスは思い詰める弟の名をやさしく呼んだ。表情は見えないが、恐らく泣いている
に違いない。

「お兄ちゃんに心配掛けたり、我が儘言ったり、言うこと聞かなかったり…」

「良いんだよ、お前に限っては」

「え…?」

「確かに今お前の言ったとおり、ひとに何かしてもらえることを当たり前と思ってはいけ
ない。だけど、俺は家族だから多少は許される。度を越したときは…わかるだろう?」

「うん」

 後ろから見ていてもぴくっと反応するのがわかる。そんな弟がかわいくて、彼はぽんと
頭をなでた。身勝手と言われようとも、もうこの手を離したくないと思った。


 了 2010.9.26 「小さき冒険者」 おまけ あとがき?