気付くと一定の間隔で地面が揺れていた。シェールはぼんやりと見慣れぬ天井を眺めな
がら、ひどく混乱していた。布を一枚隔てた向こうからは、男の話す声が聞こえて来た。

「このままトリュアまで直行したほうが良くないか。下手に寄り道をすれば、どこで公安が張っ
ているかもわからねえし」

「ガキはどうする」

「ガキなんかその辺に捨てりゃ良い」

「馬鹿言え、折角の品物だ。それにどこかで馬を変えるか、休ませるかしないとトリュアまで
は持たない。飲まず食わずでお前と干物になるなんぞ俺は御免だぜ」

 男の言い合う声を聞きながら、シェールはみるみるうちに記憶を取り戻した。泣きたいが、
恐怖でそれすら適わなかった。

 彼は細心の注意を払い、男たちがいるのと反対側の縁へ這い出る。布から頭を出し、次
々と移り行く景色に街道を走っているのだとやっとわかった。

「逃げなきゃ」

 咄嗟にそう思うも、馬車はかなりの速度が出ており、なかなか飛び降りる勇気は生まれな
かった。それに、もし無事に脱出出来たとして、この薄暗く鬱蒼とした森をひとり彷徨うのか
と思うと、益々決心は鈍るばかりである。盗賊に殺されなくとも、こんなところで野たれ死ん
では同じだと思った。

 そうこうしているうちに馬車が減速し始める。どうやら町に入ったようである。

 逃げるなら今しかない。高まる心臓を押さえ、意を決して馬車から飛び降りる。長時間同
じ姿勢でいたせいで身体が重く、思うように動かなかった。

「いたたた…」

 着地に失敗し、ドサッと地面に転がり落ちる。その音は馬を操っていた男たちの耳にも
届く。

「あ?何だ今の音は…」

「ん?!こらガキ!」

 やや離れたところから聞こえた怒声に、心臓が止まりそうになる。馬の嘶きが聞こえた。

「どうしよ」

 捕まったら今度こそどうなるかわからない。

 痛みも恐怖もすべて棚上げして、ともかく死に物狂いで走った。闇に沈んだ見知らぬ街
を駆けながら、シェールは声を上げて泣いた。

 一体何故こんな目に遭わなくてはならないのだろう。こんなことなら、初めから素直に兄
の忠告を聞くべきだった。どんなに悔やんでも、今となってはどうする術もない。

 もう走れない。身も心も疲れ果て、シェールは民家の軒下で力尽きた。それから悪夢と
いう悪夢をいくつもみて、その度に泣きながら目を覚し、そして絶望した。

 すべて夢なら良いのに。

 その日、まともに彼が眠れたのは夜も白んできてからであった。

「おい、こら起きろ」

 ペシペシと頬を叩かれ、シェールは薄目を開ける。自分へ話し掛ける男の姿がぼんやり
と視界に映る。

「ど、泥棒!」

 咄嗟に飛び退き、勢い付いて後ろへ倒れた。

「ああ?いきなり失礼な奴だな」

「へ…」

 強か打った腰を擦りながら、目の前の男をまじまじと見詰める。どうやら昨夜の盗賊とは
別人のようだった。

「寝ぼけてんのか?まったく人の店の前で眠りやがって。営業妨害なんだよ」

「お店…?」

 視線を上げると、カラフルな看板に心踊る綴り字が並んでいる。昨夜は余裕がなくて、
自分がどこで眠っているのか全く注意を払っていなかった。

「おじさんち、お菓子屋さん?」

「そうだよ。特に怪我もしてねえみたいだし、早いとこうちへ帰んな」

「僕もそうしたいんだけど…」

「なんだ坊主、お前迷子か?」

 男はさも面倒そうに頭を掻いた。

「えーと、王都へ帰るにはどうしたら良いですか?」

「な、王都?!」