「ジョージア先生」

 少年はありったけの勇気を振り絞って、扉へ向かって呼び掛けた。

「会議中だ!」

 予想したとおりの返事が予想以上に不機嫌に返される。だが、ここで引き下がるわけには
いかなかい。ともかく時間がないのだ。彼はもう一度、大きく息をする。

「ジョージア先生に来客です」

「待たせておけ。会議中は近寄るなといった筈だ」

「で、ですが、2分で取り次ぐよう言われました」

 残された時間はもう半分もない。落ち着かない様子で足踏みしていると、扉が開かれた。

「本部の人間か」

「はい!モリスン中佐です」

 一瞬の沈黙の後、今度はざわめきが起こる。数秒後、主任教官の咳払いが再び静寂を呼
び起こした。

「確かにジョージア教官と言ったのだね」

「はい、ですから早く」

 教官を急かすなど言語道断である。だが、ゼインを含むその場の誰もが少年をたしなめな
かった。


「私の時計、早いのかしら」

 開口一番嫌味か。すっかり顔馴染みになった女性士官を前にタリウスは頭痛を覚えた。

「申し訳ございません。急用でしょうか」

「ええ、落ち着いて聞いて頂戴」

 ミゼットの顔つきが変わり、タリウスは身構える。

「シェールがさらわれた」

「さらわれた…?誰に!?何で!!」

「確証はないのだけれど、多分盗賊の一味だと思う。理由はわからない」

「あなたはどこでそれを?」

 ごくりと生唾を飲み込む。タリウスは必死に平生を取り戻そうと、それだけ言うのがやっ
とだった。

「今日の夕方、シェールと会う約束をしていて。だけど、なかなか来ないから忘れているの
かと思って、迎えにいったの。女将さんの話だと、あまり風紀のよろしくないところに出入
りをしているみたいだったから、気になってね。シェールはいなかったけど、代わりに子供
が連れ去られるのを見たという人がいた」

「それが、シェールだと言うのですか」

 咄嗟に、彼はミゼットの早とちりを期待した。

「ええ。子供の特徴を聞いたけど、多分…いえ、そうとしか思えない」

 目の前が真っ暗になり、同時に居ても立ってもいられなくなる。一刻も早く、弟を救い出
したいと気が競った。

「すぐに公安に駆け込んだけど、最悪なことに、前からあの辺に盗賊のねぐらだか何だかが
あると踏んでいたみたいで、彼らは盗賊を捕まえることに躍起になっている」

「何故公安はすぐに情報を下ろさない」

 知っていたら絶対に弟を近づけたりしなかったと、彼はいきり立つ。

「私だって同じ気持ちよ。ともかく公安はあまり当てにならないし、そうかといって軍は…」

「公安との協定があるから手が出せない」

 淡々と先を続けるのは、彼らの上官である。

「先生」

「いつからそこに」

 ゼインの表情はいつになく硬く、全身から立ち上る苛立ちを隠そうとしなかった。

「まがりなりにも公安が動き出したのなら、ついでにシェールを救出してくれるのを待つ
より他なかろう」

「ついでって」

「そんなの待ってられない!任を離れ、自助努力をする分には構わない筈です」

 上官の言っていることは一見正論ではあるが、今の彼らには到底受け入れることなど出
来ない。言っている本人だって、同じ気持ちであると思った。

「相変わらずのご都合主義だね。だが、それでもここへ寄っただけマシになったということ
か」

「すぐにでも後を追いたかったけれど、でもそれって私のすることじゃない」

 規律や階級がどうこういう問題ではない。シェールに対して、自分よりもずっと心を砕いて
いる人間に任せるべきだと思ったからである。

「まさか君まで暴走しようというわけではなかろうね」

 押し黙ったままの部下に、ゼインが鋭い視線を投げ掛ける。

「先生にご迷惑を掛けるようなことがあれば、そのときは切り捨てていただいて結構です」

「タリウス=ジョージア。君は私に逆らうのか」

 師として上官として、今日まで常にゼインを敬い、付き随ってきた。公安との協定を無視し、
軍人である自分が動けば後々厄介な事態になることは避けられない。そうなれば、必然的
に上官の顔を潰すことになる。それでも今度ばかりは譲るわけにはいかない。

「もう後悔したくないんです」

 怒りを孕んだ上官の瞳を真っ向から捉える。そのまま一歩も退かず睨み合う。

「行くからには必ず連れて帰って来い」

 憮然とした表情で部下にそう告げ、ゼインは足早にその場から立ち去る。後に残された
タリウスは、上官の背に向かい深々と一礼する。

「私の馬を使って」

 退出しかけたタリウスをミゼットが呼び止める。彼は信じられないといった面持ちでミゼッ
トを見返した。城勤めには家と馬が下賜されるが、それは言わば社会的地位を表す勲章
のようなもので、他人に貸し与えることはまずない。

「私と同じで繊細で傷つきやすいから、丁寧に扱ってよね」

「心得ました」


 兵舎の外に出ると、候補生が軍馬の手綱を持って控えていた。彼は当面の相棒となるべ
く馬へ近づき、あごの辺りを撫でた。予想以上に長旅になるかもしれない。

 彼は馬を走らせながら、先ほどまで見ていた地図を頭の中で広げる。ここから二三日行っ
たところに、大きな港町がある。盗賊たちの最終的な目的地は、ほぼそこと見て間違いない。
だが、厄介なことにその途中途中にいくつもの町が点在する。彼らがいつシェールを手放す
か分からない以上、それらを虱潰しに当たり、情報を集めるより他なかった。