「主任教官の部屋へ行くには、どう行ったらいいんだ」

 アルベリック=バルマーが廊下を歩いていると、背後から聞き覚えのない声に呼び止めら
れた。振り返ると、男がひとり腕を組んで立っていた。外部からの客人のようだが、見るから
に軍人だった。

 少年は慌てて敬礼を返した。咄嗟のことでよくわからなかったが、徽章をちらっとみた限り、
かなり高位にある者のようだった。

「予科生か。まあ、それにしたって教官室くらいわかるだろう」

 男はまるで品定めするように、上から下までジロりと少年を見降ろした。アルベリックは緊
張に唾を飲み込む。

「よろしければ、ご案内しましょうか」

「三人目だ」

「え?」

 男の言っている意味がわからず、少年は短く言葉を発した。

「三人目にしてやっと当たりをひいた。どいつもこいつも気が利かないったらない」

 気が利かない、その言葉にアルベリックははっとして、頭を下げた。

「申し訳ございません!あの、荷物を」

「これか?重いぞ」

「でしたら、尚更」

 客人からひったくる様にして鞄を受け取り、少年は先に立って歩いた。

「自分がここにいることを誇りに思うか」

「もちろんです」

 唐突に訊かれ、驚きながらも少年は答える。

「それはここが中央だからか」

「は…はい」

 男の質問の意図が分からない。そうかと言って聞き返すのも憚られ、ともかく返事を返した。

「中央出の、エリートの看板は貴重だからな」

「ち、違います。そんなんじゃなくて」

 アルベリックは慌てて手を振る。教官からは、日々ここで学べることを誇りに思い、感謝す
るよう言われている。だが、それはそういうことではないと理解していた。

「今の仲間に会えたのはここだからです。看板とか、関係ないです」

「お前、俺が中央の出なら、骨の一本も圧し折られているぞ」

 男の言葉に真っ青になった。中央士官は陛下のお膝元である。そのことを鼻に掛ける者も
少なからず存在する。当惑する少年を余所に、客人はそれきりおしゃべりをやめた。


「お呼びでしょうか」

 時を同じくして、ゼインの執務室にはタリウスの姿があった。

「ああ、呼んだよ」

 上官はぞんざいに言い捨て、足を組みかえた。苛立っている。彼は反射的にそう悟った。

「今日の午後、本部から来客があることは話してあったね」

「はい。ですが、先方の都合で延期になったとも伺いましたが」

「その後、どうしても来訪したいという旨の手紙が、今日の午前中に届いた。急なことであち
らもひとりでみえるらしい」

 ゼインは忌々しげに手にしていた手紙を見詰めた。

 この時期、本部の人間が来校する事由は多くない。その最たるものが、新米士官の配属
に関わる事だ。どこの士官学校からどのポストに何人送り込めるか、軍にとっても国民に
とっても、最大の関心事である。

「いらっしゃるのはいつですか」

「この手紙によると、だ。もう既にいらしているようだ」

 ほら、と見せられた手紙をタリウスは目で追う。確かに、現時刻はそこに書かれた日時を
大いに経過していた。彼らが時間に遅れるとは考えにくい。

「予科生に来客があることを知らせたか」

「いいえ。申し訳ございません」

「全滅だな」

 上官は憮然として手紙を放った。

「ミルズ主任教官殿はいらっしゃるか」

 そのとき、何者かが戸を叩いた。ゼインが立ち上がりすぐさま返事を返す。その間、床に
落ちた手紙をタリウスが回収する。

「中央教育隊、試験室から参りました」

「これはこれは、ようこそおいでくださいました。それにもかかわらず、お出迎えにも上がら
ず、大変失礼いたしました」

 主任教官が自ら戸口に立って、来客を迎えた。その表情には笑みを湛えている。毎度
のことながら、上官の変わり身の早さには驚かされた。

「いきなり押し掛けたのはこちらですから、迎えはまあ良いんですが。それにしても、候補
生たちの無能っぷりには、驚かされました」

 ゼインの笑顔がひきつる。そのまま教官たちは互いに顔を見合わせ、続いて客人の後
ろに控えた予科生に視線を注ぐ。少年の青白い頬が益々色を失う。

「貴様…」

「私はここの出ではないもので。廊下で会った本科生に、教官室はどこかと尋ねたら、や
れ階段を上がれだの、右へ曲がれだの言うからそのとおりに来たが、まるで見当はずれ
なところへ行ってしまった。そこで、次に声を掛けたのもこれまた使えない本科生で。この
彼が、案内しましょうかと言ってくれなければ、帰るに帰れないところでした」

 まいりましたね、客人は頭を掻く。

「それはとんだ失礼を。大変申し訳ございません」

 上官に倣い、タリウスが頭を下げる。隣からは、かつてない怒りがビリビリと伝わって来
た。

「君は特別優秀というわけではないが、周りが馬鹿だと得をすることもあるようだ。もう下
がって良い。と、そうだ」

 客人は鞄を受け取り、下がりかけた少年にもう一度声を掛ける。

「一応、名前を聞いておこうか」

「バルマーです」

「ああ、あの美人三姉妹の。跡取りがここにいるとは聞いていたが、君だったのか」

 客人は再びしげしげと少年を眺めた。

「末の妹が姉上たちと仲良くさせてもらっていてね。そうか、君も母上似のようだ」

「いえ。僕は…養子、なんです。だから…すみません」

 偽ったところで、教官たちの知り得る情報である。後々聞かされるのなら、ここで言っ
てしまったほうがまだ良いと思った。

「全く謝る必要はないし、少しも恥じることでもない」

 俯いていた少年が、視線を上げる。

「どこの生まれだろうと、誰に育てられようと、その先の人生を決めるのは自分次第だ。
君自身、看板など要らないと言っていたじゃないか。さあ、もう行け」

 客人はいささか乱暴に少年の背を叩き、今度こそ下がるよう命じた。そして、教官の
ほうへ向き直る。

「失礼。自己紹介が大変遅くなりました。私、アルウィン=リードソンと申します」

「ゼイン=ミルズです、リードソン殿。どうぞお掛けください。今お茶をお持ちします」

 応接セットへ客人、アルウィンを通し、背後の部下に小声で命じる。

「ミス・シンフォリスティを呼べ。その後、君は下がるように」

 心なしか、上官は緊張の糸が解けた様子だった。