兵舎の敷地を歩いていると、タリウスの前をヒラヒラと便箋のようなものが飛んで行った。
気にせずそのまま通り過ぎようとするが、後から後からやってくる紙たちに流石に歩みを
止める。何者かがうっかり手を離し、迷子になったのかもしれないと思った。
「これは…」
そんな迷子の紙のひとつを拾い上げると、士官や軍事といった馴染みのある単語が並ん
でいた。反射的に目で文字を追う。彼が拾ったのは、候補生の書いたレポートのようだった。
初めは、間の抜けた本科生が落としたのだと思った。だが、散らばった紙を拾い集めるう
ちに、少なくとも二種類以上の筆跡があることに気付く。そして、所々に朱書きされたコメント
を見るにつけて、恐らくレポートに朱を入れた人間が落としたのではないかと推測した。
だが、彼の知る限り、この手の宿題を課すのは主任教官ただひとりである。果たして、上
官がそんなへまをするだろうかと彼は首をひねった。拾い集めた紙の束を手に、彼は来た
道を引き返した。半分ほど戻ったところで、見知った顔が右往左往するのが見えた。
「タリウス殿!私、預かっていた本科生のレポートをなくしてしまったんです。主任先生は彼
らに非があると思って、カンカンになって叱りつけていて。あの子たち少しも悪くないのに!」
自分の姿を認めると、ユリアが泣き出さんばかりの表情で駆け寄ってくる。どうやら宿題を
課した人物と落とし主とは別の人物だったらしい。
「捜し物はこれですか」
「それっ!どうして?」
タリウスの差し出したレポートの束にユリアが釘付けになる。
「どうしたも何も、そこここに散らばっていましたよ」
「どうしよう!」
「一応すべて回収したつもりですが、ちゃんとあるか確かめてください」
パクパクと混乱するユリアを横目に淡々と告げる。彼女はタリウスから受け取った紙を意味
の通るよう、順番に並べていった。動揺しているというのに、その手際の良さは普段と少しも変
わらず、彼はある種の感動を覚えた。
「みんなあります」
「それは良かった」
安堵の溜め息を吐くユリアにタリウスは苦笑いをおくる。
「早く戻ったほうが良い。あの人は待ったなしだ」
そして、立ち尽くすユリアを促した。
タリウスが一日の勤務を終え詰め所に戻ると、ユリアの姿があった。いつもならとうに帰宅
している時刻である。
「先ほどはどうもありがとうございました」
「いえ。大丈夫でしたか」
「大丈夫というか、なんというか。主任先生は私には何もおっしゃらなくて。でも、代わりに彼ら
がひどく責められた様子でした」
彼女は一応ゼインの部下という位置付けになっていたが、一般人である上に、現在は統括
から無理を言って来てもらっている状況にある。流石のゼインも、彼女に対しては小言や嫌味
言うくらいで、強く指導することはなかった。罪悪感だけが積もっていったのだろう。
「それは仕方のないことです。あなたとは立場が違う」
「わかります。わかりますけど、でも私が悪いのに」
「そもそもミルズ先生が課した宿題が、何故あなたの手にあったのですか」
もっともな疑問だった。
「主任先生に出す前に見て欲しいと本科生に頼まれて、すぐに見てあげればよかったのですが、
いろいろ立てん込んでいて。一旦預かって朱を入れて、返そうとした矢先に落としてしまいました。
お陰で彼らに迷惑を」
察するに、ゼインにとっては誰が課題をなくしたかなどということはどうでも良かったのだろう。
単純に、期限までに課題を出さなかったことを叱ったのだと思った。
「もちろんレポートをなくしたあなたにも非はありますが、彼らだって責められるに値する筈です。
教官に見せる前の宿題を、あなたに添削させようとしたこと自体、褒められたことではない」
「それについては、私も断るべきだと思いました。だけど、何だってあんなドジを」
「もう済んだことです」
「怒らないんですか?」
なだめるようにして言うと、ユリアがすがるような目で見上げてきた。果たして、自分に何を求め
ているのだろうか。
「まるでそうされたいというような口振りですね」
彼女は沈黙する。肯定もしなければ、否定もしない。それが答えだった。
「だって私、そうされて当然だと思います」
「ですが、私はあなたの上司でもなければ保護者でもない」
タリウスの言葉に冷たいものを感じ、涙がこぼれ落ちそうになるのを寸でのところで堪えた。
「そう…ですね」
それ故、そう応えるのが精一杯だった。失礼しますと彼女は足早に扉へ消えて行った。そんな
ユリアの背を見送りながら、彼は胸の奥が痛むのを感じた。少しも間違ったことを言ったつもり
はないが、ああも沈まれると自分のほうに咎があるように思えてならない。
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