ある朝のこと。タリウスが荷物の整理をしていると、そこにあるべきものがなかった。彼は目の前にいる弟に視線を向けた。弟、シェールは既に支度を終え、ベッドに座っていた。

「地図が見当たらないんだが、知らないか」

「し、知らない」

 一瞬、弟の目が泳いだのをタリウスは見逃さない。何かあると直感し、更に追求する。

「本当に?」

「知らないったら知らない」

   その妙に必死な様子に、彼こそが犯人だと確信を深めた。だが、なかなか尻尾を出さない。

「そうか。もう少し捜してみるから、お前は先に食事に行っていなさい」

「え、でも」

「すぐに行くから」

 言って、シェールを追い立てる。弟は不満そうな素振りを見せたが、最終的には扉の向こうへと消えていった。

 シェールの姿が見えなくなると、タリウスは今まで弟が座っていたベッドに歩み寄った。ベッドは自分の言い付け通り、丁寧に整えられていた。

 上掛けを掴むとおもむろに捲り上げた。続いて、クッションを横に退ける。すると、ベッドと壁との間に出来たわずかな隙間に何かが挟まっているのが見えた。タリウスはそっとそれを抜き取った。予想通り、それは彼の捜し物そのものだった。

「全く」

 地図を広げると、そこには見覚えのない模様が浮かんでいた。シェールの悪戯の成果だろう。

 地図を脇に挟んだまま、乱れたベッドを再び整えていく。手を動かしながら、彼は昨夜のことを思い返していた。

 シェールが地図を手にしていたことは、何となくではあるが覚えている。そして、しきりに話しかけられたが、考え事をしていたこともあって、ほとんど相手をせず、適当に相槌を打っていた。

 これが構ってやらなかった代償なのだろう。きちんと均されたベッドの上に地図を放ると、彼は部屋を後にした。


 食堂に下りて行くと、シェールはあらかた朝食を済ませたところだった。どうやらたまたま近くで食事をしていたユリアと合流したようである。

「おはようございます」

 ユリアが微笑む。

「おはよう」

 頭の中は弟のことでいっぱいだったが、ひとまず返事を返し、彼女の向かいの席に着いた。隣を盗み見ると、期せずして目が遇った。シェールが露骨に目を逸らす。あくまでしらを切り通すつもりか。

 しばらく無言で食事を進めていると、シェールが礼を言って席を立った。ユリアも既に食事を終えたようだったが、のんびりと食後のお茶をすすっている。

「朝から何がどうしたっていうんですか」

 それまで黙っていたユリアが、カップを置いてタリウスを見た。

「どうって?」

「心ここにあらずで、ご自分が何を召し上がっているかもわかっていない感じでしたよ」

 ユリアが苦笑いを返す。端から見た自分はそんな風だったのかと、タリウスは溜め息をこぼした。

「シェールが地図にいたずら書きをしたんですが、まあそのこと自体は他愛のないことです。大して叱るつもりもないのですが、それよりも、嘘をついて隠したことが気になって。こんなことは初めてだから、どうして良いかわからなくなりました」

 それは正直な気持ちだった。嘘をついたことを叱らなければならないとは思ったが、頭ごなしに咎め立てたところで、解決しないような気がした。

「きっとタリウス殿が怖くて、言い出せなかったんですね」

「怖い?」

 確かに悪さをすれば叱るし、そのときには容赦しない。だが、普段は出来る限りやさしくしているつもりだ。

「怒らせたら怖い人だって思っているはずですよ。もちろん、ダメなことはダメと教えて差し上げるのが、本人のためだとは思いますが、あんまり怒ってばかりいると萎縮しちゃいますよ」

 ユリアの言っていることは一理ある。嘘をつかれた自分のほうにも多少の非があるのかもしれない。

「わかった。ありがとう」

 ユリアに話したことで、少しだけ心が軽くなった。


 部屋へ戻ると、シェールが例の地図を前にすっかり固まっていた。

「これがお前のベッドから出てきた。どういうことか説明しろ」

「それは、その…僕が、そこに、えーと、隠したから」

 流石に隠し通せないとわかったのか、シェールがしどろもどろに白状する。その素直な態度にタリウスはひとまず胸を撫でおろした。

「座って」

 タリウスは自分のベッドに腰を下ろすと、隣りを差した。シェールはそれに従う。

「地図に落書きするのは良いことか?」

「良いことじゃない」

「そうだな。では、何故俺に嘘をついた?」

 しばしの沈黙。そして、

「だって、叱られると思ったんだもん」

 言って目を伏せる。正にユリアの言った通りだった。

「あのなあ、シェール。確かにいたずらはいけないことだが、正直に話してくれたらそんなに怒りはしない。それよりも、嘘をつくほうがずっと悪いとわからなかったのか?」

 シェールは答えない。下を向いて黙りこくるばかりだ。

「ばれなければ良いと思った?」

 ややあって、シェールはコクンと首を縦に振った。

「悪さをして、それを嘘をついて誤魔化そうとするなんて、してはいけないことだ。そんなことは、言われなくたってもうわかるだろう」

「はい」

 シェールが神妙にうなづく。

「俺は今まで、お前に嘘をつかれたことはないと思っていたが、それはただ俺が気付かなかっただけか」

「そんなことない。他にはウソなんてついてない!」

 弟は懸命に訴える。

「結局、そういうことだ。嘘をつくことで、それまで築いてきた関係を簡単に壊してしまう。嘘ばかりついていたら、お前は信用を失って、今に誰も相手にしてくれなくなるぞ」

 穏やかな口調だが、シェールの心には鋭く突き刺さった。

「ごめんなさい」

 弟は上目遣いでこちらを見た。いけないことをしたとわかっているのだ。そんな弟を見て、心を決める。

「ちゃんと反省出来るように、少しお仕置きをしよう」

 お仕置きと聞いて、途端にシェールの落ち着きがなくなる。それこそが何より恐れていたことだった。

「素直に出来るな?」

 それでもタリウスに顔を覗き込まれて、反射的にうなづいてしまう。怒鳴られるのももちろん嫌だが、こんな風に静かに諭されるのもやはり苦手だった。

「シェール、おいで」

 弟の腕を掴むと、膝の上へ横たえた。そして、手慣れた様子でお尻をむき出しにする。

「良い子にしていたらすぐに終わる」

 シェールはシーツを掴み、ぎゅっと目を閉じた。そして、甲高い音と共に平手が弾ける。シェールがひゅっと息を飲む。そこへ更なる平手が降った。小さなお尻には大きな紅葉がふたつ並んだ。

「全く、最初から正直に話してくれたら、こんな目に遭わずに済んだんだよ」

 言いながら、タリウスは赤く染まったお尻を撫でた。

「今度嘘をついたりしたら本当に怒るよ。わかった?」

「はい」

「よし。おしまい」

 朗らかに言って、お尻をしまってやる。

「さて、出掛けようか」

 折角の休みだ。躾はこのくらいにして、そろそろ弟の笑顔を拝みたかった。タリウスが屈託なく笑うと、つられてシェールも笑った。


 了 2009.9.26 「悪戯心」