!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.0 Transitional//EN">  あれからゼインとは会っていない。もとい、会えていないと言うべきか。お互いに仕
事が忙しいのはいつものこと。わかっていても、こうもすれ違いが続くとわざと避けら
れているのではないかと勘ぐりたくなる。

 ミゼットは煙草に手を伸ばし、チクリと痛む良心を煙と一緒に飲み込んだ。規則で
喫煙を禁じられているわけではないが、それでも体力は落ちるし、夜目も利かなくな
る。良いはずがない。何より、件の上官兼保護者が何と言うか。火を見るより明らか
だった。

「ああもう」

 苛立ちにまみれて煙草を揉消す。ゼインの亡霊を追いやるためにしたというのに、
これでは無意味である。とにかく気を沈めようと目を瞑った。すると、どこからともなく
自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ゼイン?」

 小さく呟いて、ハッとなる。ついに幻聴まで聞こえるようになったか。

「ミゼットいないのか?ミ…」

「うるさい!消えて!」

 やや明瞭になった亡霊の声を感情にまかせて遮る。

「一体どうしたというんだ」

「え…?」

 怪訝そうに様子を窺うその声は、明らかに体外から聞こえてくる。視線を上げると、
玄関脇の窓に背の高い影が見えた。

「え?え?!え!!えーっ!」

 小さな呟きはやがて絶叫へ変わる。彼女は血相を変え、戸口へ走った。

「突然来て申し訳なかった。出直そうか?」

「いいえ、大丈夫。大丈夫だけど、でもちょっとだけ待って」

 振り返って、最初に視界へ映ったのはお世辞にも綺麗とは言えない部屋。とにかく目に
付いたものを拾い集め、戸棚へ押し込む。不本意ではあるが、これでなんとか許容範囲
だろう。続いて、自分自身に目をやる。上着を引っ掛ければ、こちらもなんとかなる。

 しかし、問題は匂いだ。何と言っても、相手はゼインである。髪や衣服についた煙草の
匂いを彼なら敏感に嗅ぎ分けるだろう。

「どうする?」

 自問して、しばし思考する。そして、思い付いて香水の瓶を手に取る。だが、これでは
布に染み付いた匂いまでかき消すことは出来ない。

「割っちゃう?」

 小瓶を持った手をおもむろに振り上げるが、床に落とすことなくその手を下ろす。流石
にあからさまだろう。

「えーと、えーと、あ」

 戸棚の上から古い香炉を取り出し、ふたをあけた。思ったとおり使いかけのお香が入っ
たままになっていた。彼女はすぐさま火を付け、床へ置いた。後は戸口で時間を稼げば
良い。

「ごめんなさい。ちょっとその、疲れていて」

「いや、私のほうこそ悪かったね。すぐに帰るから」

「いやいやいや、そうじゃなくて…」

 久しぶりに会えたというのに、それではあんまりだ。なんとか引き止めようとゼインへ手
を伸ばす。が、どういうわけか彼の両手は後ろにあった。

「え?」

 困惑するミゼットを甘い香りが包んだ。視界には鮮やかな花、花、そして花。

「おめでとう、ミゼット。君が生まれてきてくれて、本当に良かった」

「あ、ありがとう。でも、どうして?」

 誕生日など空しいだけ、そう思って敢えて気にしないようにしてきた。たが、その実忘れる
ことは出来なくて。それにしても、ゼインが知っているとは思わなかった。

「私を誰だと思っているんだ」

 笑いながら、両手一杯の花束を差し出す。そんな彼を前に、ミゼットは嬉しくて嬉しくてた
まらなくなった。

「ゼイン!」

 だから、すべてを忘れついそのまま飛び付いてしまったのだ。ふわりと花びらが舞った。

「こらこら…うん?」

 ミゼットを撫でる手がぴたりと止まる。

「誰か来ていたのか?」

「いいえ」

「では、どこかへ出掛けたのか?」

「いえ、どこへも」

 返事を聞くや否や、ゼインはずんずんと部屋の奥へと入って行った。 

「なるほど。香を薫いて匂いを誤魔化そうとしたのか。相変わらず子供みたいなことをす
るね」

「ゼイン、待って」

 ミゼットの表情がこれでもかというくらい青ざめる。彼女は、無遠慮に棚だの引き出しだ
のを開けるゼインを必死で制す。

「こんなところへ吸い殻を入れるものではないよ、ミゼット」

「先生、それは…」

「エレインのだとでも言うつもりか?」

 目前に吸い殻を突き付けられ、もはや言い逃れは出来ない。彼女には、ゼインの言って
いることの意味がわからなかった。

「点検のとき、君たちはよくそうして罪を着せあっていたね。持ち点が多いほうばかりが減点
されるようなことをするから、おかしいとは思った」

「何故そんな昔のことを?」

 確かにゼインの言うとおり、エレインとは運命共同体で、持ち点を見ながら罪を被ったり被
せたりしていた。だが、当時のゼインはそのことには気付いていなかった筈だ。もう時効だと
わかっていても、彼女は冷や汗を掻いた。  

「指導記録を読み直していて気付いた」

「指導記録?!」

 懐かしいその響きに、ミゼットは素っ頓狂な声を上げた。文句なしに、捨て去りたい過去の
第一位である。 
 
「先生、もしかしてそれで私の誕生日が…」

「君の経歴書は北部に行ったままのようだったからね。それで資料室を捜すことにしたのだが、
なんせかなり古い記録だから骨が折れたよ。面白いことに、君のとエレインのはやはり隣り合っ
て置いてあった」

 ゼインはその後も何か言っていたようだが、ミゼットの耳には全く持って入らなかった。

「さて、オイタが過ぎる娘は、どうなるんだったかな」

 反射的にお尻に手がいった。もはやまともにゼインの顔を見ることが出来ない。

「私はもう子供じゃない」

「そうだね。それなら、して良いこととそうでないことの区別くらい付く筈だ」

「だって」

「女だからって馬鹿にされたくはない。本気で強くなりたい。そういうことを言っていた人
間がすることとは思えないが」

 これは指導記録には書いていない。ゼイン自体が記録なのだ。

「ごめんなさい。今日限り止めると誓う。だから…」

「良い心がけだ。だが、犯した罪はきちんと償ってもらう」

 何なのだろう、この恐ろしいまでの威圧感は。従う義務などないとわかっていても、結
局素直に返事を返してしまった。

「窓辺へ手を付いて、お尻を出しなさい」

 ゼインの目が真直ぐにミゼットを捉える。見詰め返したが最後、視線を逸らすことが
出来ない。

「ミゼット」

 睨めっこに勝負がついたところで、ふらふらと出窓へと向い、罰を受ける準備をする。
 まるで意思を持たない人形にでもなった心地だった。

 突然、背後から聞こえた風を切る音に、ミゼットは弾かれたように振り返った。

「イヤ!ゼイン、そんなものでぶたないで」

「レッスン中だ。つべこべ言わない」

 悲鳴を上げるミゼットを一蹴し、すぐさま姿勢を直そうとする。その手には籐鞭が握ら
れている。

「お願いよ、良い娘にするから」

 聞き入れられる筈などないとわかっていても、言わずにはいられない。それほど籐鞭
の恐怖は凄まじい。

「君には自分の犯した罪の重さがわからないのか」

 言いながら、手近にある机をピシッと打つ。途端に、ミゼットの中で小さな反抗心が芽
生えた。

「煙草なんて誰だって吸っているじゃない。なんで私だけ?先生にはもう関係ないことの
筈です」

 しばしの沈黙の後、ゼインの顔つきが変わる。

「他の誰かのことなどどうだって良い。私にとって大切なのは、ミゼット、君ひとりだけだ」

 予想外の台詞にミゼットは閉口する。

「こういう仕事をしている限り、不可能だとは思う。だが、それでも君を傷つけようとする輩
を私は許せない。もしそれが、君自身であったとしてもね」

「せんせ…」

 彼は心底自分の身を案じてくれているのだ。心が満たされていくのを感じた。

「君にしてみれば迷惑な話だろうが」

「迷惑ではないです。こんなに私を心配してくれるのは先生だけだし、叱ってもらえるのだっ
て本当は嬉しい。でも…」

「でも?」

 口ごもるミゼットをゼインが見下ろす。

「あんまりお尻を痛くされるのは、嫌だなぁって」

 子供のような言い種に、思わずゼインの口元が緩んだ。

「酷くされたくないのであれば、素直にすることだ。さあ、きちんと立つ」

 促されて、ようやく覚悟を決める。

「いっ…」

 だが、最初の一打を受けたところで、早くもその決心が鈍る。肌を切り裂かんばかり
の痛みに、心が折れそうになった。

「はぅ!」

 そんなこちらの事情はお構いなしに、ゼインは等間隔に手を振り下ろす。鞭が空を切
る音、肌を打つ音、そして息を飲む音、これらが延々繰り返される。白いお尻に、何本
もの赤い筋が浮かび上がった。

「ごめんなさい!」

 絶叫と共に、両足が地団駄を踏む。堪え切れず涙が溢れた。

「君は自ら己の身体を痛め付けようとした。それがどんなに愚かなことか、理解出来た
だろうか」

「わかりました!もうしませんから赦して下さい。本当に本当にごめんなさい!」

 一刻も早く止めて欲しくて、ミゼットは泣きながら陳情する。

「よろしい。では、仕上げをしてあげよう。一ダースだ。数えなさい」

 厳しい口調で告げると、ミゼットと距離を取る。彼女は身を堅くし、ギュッと目を瞑った。

「ひとつ!」

 腫れ上がったお尻に、容赦ない鞭が振り下ろされる。もはやどこを打たれようが、猛烈に
痛い。ひとつ打たれる度に、自然と身体が浮き上がってくる。その度都度、ペシペシと鞭の
先端をお尻に当てられ、姿勢を矯正された。ミゼットは泣きじゃくりながら、されるがままに
なった。

「十二!」

 最後の一回を数え終わり、彼女は両手を付いたまま、呼吸を整えようと大きく息をする。
 赦しを得るまでは、姿勢を崩してはならないのが暗黙のルールである。

「今日のことをしっかりと心へ留めるんだ。良いね」

「はい」

 すすり泣きながら返事をすると、ふわりと背中から抱き寄せられた。

「ゼイン?」

「よく耐えたね」

 振り返るミゼットの頬をやさしく撫でる。その瞳に鬼はいない。

「君のことは、もう少し意志の強い娘だと思っていた。だから、気の毒だとは思ったが厳し
くした」

「だって、あなたのせいだもの」

 打ちひしがれた筈の瞳が強さを取り戻す。

「何だって?」

「最近全然会えなくて、淋しくてどうかなってしまいそうだったんだもの。だから、忘れようと
いろいろ画策したの」

「つまり、私に責任があると?」

「ええ」

 ミゼットはさわやかに微笑んだ。そんな彼女を横目で見て、ゼインは利き手でポケットを
探った。

「花と鞭と、それからもうひとつ、君にはあげるものがあった」

「これって…」

 掌の上に乗せられたのは、真新しい鍵。ご丁寧に白いリボンが結んである。

「これで、もう二度とその言い訳は使えなくなったというわけだ」

 ニヤリと笑うゼインに、嬉しそうにミゼットはうなずいた。



 了 2010.5.9 「花と鞭」 あとがき?  こえを聴く  




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