「予科生!」

 すれ違い様、突如浴びせられた怒鳴り声に、少年は身を強張らせた。今日の怒声はい
つもよりトーンが高い。

「あなたには私が見えないの?」

 ミゼットである。略式の常装をしているが、それでも一目で士官だとわかる。

「も、申し訳ありません」

 彼女が放つ威圧的な空気は、教官のそれと比べても引けを取らない。少年は、自分を
睨み付ける厳しい視線をまともに受けることが出来ないでいた。

「答えなさい」
 
 構わずミゼットは追い討ちを掛ける。少年がしどろもどろに弁明を始めると、騒ぎを聞き
つけたのか、背後から長靴の音が近付いて来た。

「何か無礼を働きましたでしょうか」

 教官は少年には目もくれず、足早にミゼットに歩み寄る。ミゼットは彼の顔を見た瞬間、
あっと短く言葉を発した。だが、すぐさまそれを咳払いに変える。

「ええ、私を素通りに。ジョージア教官は、女には敬意を払う必要がないと、教えているの
かしら」

「大変申し訳ございません。断じてそのようなことはありません」

 平謝りするタリウスを横目に、少年の顔からはみるみる色が失われていく。

「だったらきちんと躾なさい。他所ならいざ知らず、この中央士官でこんな扱いを受けると
は思わなかった」

「申し訳ございません」

 ふたりのやりとりを少年は涙目で見詰める。自分のせいで教官が責められるという事実
が、酷く彼を苦しめた。

「もう結構よ。下がって」

 茫然と立ち尽くすばかりの少年にミゼットが命じる。しかし、身体が凍りついたように動か
なかった。

「やっぱり私が見えないのかしらね」

「下がれ。これ以上恥をかかせるな」

 教官の怒声でようやく我に返る。少年は最敬礼をすると、脱兎のごとく消えた。

「あなたも先生も、毎日こんなことをしているの?これなら演習に出ていたほうがまだマ
シね」

 そうぼやくミゼットにもはや怒りはない。どうやら本当に怒っていたわけではないらしい。

「彼らにシカトされるの、初めてじゃなくてね。あなたには悪いと思ったのだけど、直接叱る
より効果があると思って」

 ごめんなさいね、とミゼット。

「いいえ。不愉快な思いをさせて、本当にすみません」

 彼女がわざと自分に当たったことはもとよりわかっていた。だが、それでも教え子が非礼
を働いた事実に変わりない。

「もう気にしないで。ところで…」

「ミルズ先生ですか?」

 先程執務室を訪ねたが不在だった。そこで、詰め所にでもいるのではと見当を付けた。

「それが資料室に籠ったきり、誰も近付けようとしません」

「あなたも?」

「勿論」

「そう。だったら、今日はもう失礼する」

 彼女とて行きたいのは山々だが、これで拒絶されたら、恐らく立ち直れない。一礼して踵
を返すその姿は、ほんの少しだけしおれていた。