その日、ゼインはたまの休日をのんびりと自宅で過ごしていた。

 喧しい少年達も、同じく喧しい教官たちもここにはいない。心休まる束の間の休息である。
 
 そこへ、静寂を破るノックの音。彼はさも面倒そうに返事を返した。

「ミルズ先生?ミゼット=モリスンです」

 突然の、それも思いがけない来訪者に、ゼインは椅子から転げ落ちそうになるほど驚い
た。彼は慌てて戸口へ向かった。ゴクリと唾を飲み込み戸を開けると、なんとも懐かしい顔
がそこにあった。

「ミゼット!一瞬聞き違いかと思ったよ。本当によく来たね」

「ご無沙汰しています、ゼイン=ミルズ主任教官殿」

「ただのミルズで良い」

 彼女と初めて会ったのは、彼がまだ新米教官の頃である。今では呼ばれ慣れたこの肩書
きも、彼女に言われるとなんだかこそばゆい。

「じゃあ、ミルズ先生。私が会いに来て嬉しいですか?」

「当然だろう。君達は私の娘も同然だからね」

 さあと部屋に入るようミゼットを促す。彼女はそれに従った。

「休暇中か?」

「はい。半分仕事だったのですが、もう終わりました。あの格好で街を歩くのは目立ちま
すから」

 今日のミゼットは、いわゆる町娘の装いである。昨日は高い位置で結われていた髪も、
今はふわりとおろしたままだ。

「ところで、ミゼット。顔色があまり良くないが、きちんと食べているのか」

 いくつになっても娘は娘、青白く生気のない顔を見て胸が痛んだ。

「先生には何でもお見通しなんですね。実は、ここのところ調子が悪くて」

「それはいけない。医者には行ったのか」

「お医者様には治せません」

 思い詰めた顔でそう言われ、ゼインは益々心配になった。

「ねえ、先生。お願いがあるんですけれど」

 少女のようにあどけない瞳を向けられ、ゼインは口元を緩める。

「何だろうか。今なら何でも叶えてあげてしまいそうだ」

「どうしても欲しいものがあるんです」

「さて、何だろうね。勿体付けずに言ってみなさい」

 ゼインはやさしく微笑む。

「エレインの子が、シェール=マクレリイが欲しいんです」

「シェールを?それは彼を引き取りたいということか」

 ゼインの笑顔が凍る。

「ええ。エレインは私の親友だもの。あの子が亡くなった今、私がシェールを育てたい」

「気持ちはわかる…というか、むしろ立派な志しだとは思う。だが、君ひとりで決められ
ることではなかろう。彼は今、私の部下が面倒を見ている」

「昨夜、本人に会いました」

 ミゼットの目付きが鋭くなるのを見て、ゼインは大体の事情を察する。

「ジョージアに断られたのだろう。それならば、私のところへ来ても同じことだ。そもそも
今の君は忙し過ぎる。とても子供の面倒は…」

「異動になるんです」
 
 ミゼットがぴしゃりと言葉を遮る。

「異動?」

「王室の警護に就くことになりそうなんです。詳しいことは、先生にもまだ言えませんが」

 直接王族に仕えられるのは、数いる城勤めの中でもほんの一握りだ。

「大変な名誉じゃないか。おめでとう、ミゼット。よくやった」

 時折この可愛い教え子の活躍は耳にしていたが、まさかそんなところまで登り詰めたと
は知らなかった。ゼインは目の前の問題を棚上げにして、とにかく教え子の出世を喜んだ。

「ありがとうございます、先生。そうなれば、街中に家をもらえるし、それに交代勤務だから
シェールともいられます。夜勤はありますが、それは彼だって同じ筈です」

 つまり、最低限の条件は満たしているということだ。だが、問題はそれだけではない。

「シェールの意向は聞いたのか。何より尊重すべきだと思うが」

「まだ良い返事はもらっていません。でも、あの男はエレインを見殺しにしたんですよ。
そのことを知れば、シェールだって」

「何を言い出すんだ」

 ゼインはいきり立つ教え子を止めるよう諭す。

「だって、エレインのすぐそばにいながら守れなかった!エレインを殺したも同じで
しょう!」

 だが、彼女の暴走は止まらない。

「ならば君は、自分なら彼女を守れたとでも言うつもりか」

「ええ。だから、絶対あの男にシェールは渡さない!」

「ミゼット=モリスン」

 突然厳しく名を呼ばれ、ぴたりとミゼットの動きが止まる。

「私は君を娘同然に思っている。君もそうだろうか」

「え…。あ、はい」

 自分と親友にとって、ゼインは恐ろしい教官と言うより何でも相談出来る保護者のよ
うな位置付けだった。それは、卒校した今でも同じである。

「星の数は増えても心は幼いままかね?愚かな君にはレッスンが必要なようだ」

 冷ややかに言って、ゼインは席を立つ。ミゼットは険しい表情で自分へ近付いてくる
上官に顔を強張らせる。しかし、彼はそんな彼女の横を擦り抜け、部屋の隅でカタリと
内鍵を掛けた。

 一体何が始まるのだろう。呆然としていると、再びゼインが自分のほうへ戻ってきた。

「おいで」

 ゼインは低く言うと、娘の手を取った。

「いや!何するんですか」

「言っただろう。君にはレッスンが必要だと。さあ来なさい!」

 掴んだ腕を引きずり、無理矢理膝に組み伏せる。彼女は逃れようと必死になってソファ
を蹴り上げる。いかに女性とはいえ、そこは鍛え抜かれた士官である。本気で暴れれば
抜け出せると思った。

「お行儀良くしなさい!」

 パシン!

 ゼインの大きな手が、スカートの上からお尻をはたいた。信じられないくらい痛かった。

「仮にも私の娘が、あんな愚かなことを言うとは情けない」

 ゼインがスカートに手を掛ける。

「いやぁ!先生!やめて!!」

 ミゼットは半狂乱になって喚き散らした。

 よりによって何だってこんな無防備な格好で来たのだろう。彼女は猛烈に後悔する。
 しかし、構うことなくゼインは彼女のお尻を裸にしてしまう。

「愚かな自分ときちんと向き合いなさい」

 パシン!パシン!ゼインは一切の手加減なしに、続け様に平手を振り下ろした。どれ
ほどミゼットが暴れようとまるで意に反すことなく、狙い通り正確に左右のお尻を打ち据
える。その数は、瞬く間に百を超えた。

「先生、もうやめて」

 一方、ミゼットも数多の訓練を積んだプロの戦士である。物理的な痛みにはかなりの
耐性があった。しかし、そんな彼女ももはや限界が近い。ゼインは彼女がすすり泣くの
を確認して、口を開いた。

「君は我が儘で、自分勝手で、何より幼い。とてもじゃないが、人の親になどなれない。
何故わからないんだ」

 痛烈な言葉に、ミゼットは唇を噛んで悔しがる。

「もちろん、彼だって完璧というわけではない。見ていて危なっかしいし、実際のところ何
度も失敗しただろう。だけど、彼は心底シェールを愛している」

「私だって…!」
 
 負けじとミゼットが叫ぶ。

「君が愛しているのはエレインだろう!」

 しかし、すぐさまゼインに掻き消された。

「君はエレインを失った悲しみをシェールで埋めようとしている。私にはそう思えてならな
い。違うか、ミゼット=モリスン!」

「そ…うかも…しれない」 

「それで君は気が済むかもしれない。だが、シェールはどうなる?君の身勝手で平穏なと
きを奪われ、人生まで狂わされるかもしれないんだぞ。自分が何をしようとしているか、
わかっているのか!」

 数秒後、わあっとミゼットが泣き崩れた。

 もう何が何だかわからなかった。ここ最近、自身が冷静さを失っていることは何となくわ
かっていた。それでも、苦しくて、悲しくて、どうしようもなかった。誰かにすがりたかったが
それも叶わず、憎しみだけが日に日に増えていった。

 子供のように泣きじゃくっていると、大きな手がやさしく髪を撫でるのを感じた。気付けば、
着衣も戻されている。
 
「本当はここに泣きに来たのだろう?」

 頭上からあたたかな声が降ってくる。

「君は今日まで、エレインを亡くしたことを悲しむ余裕がなかったのだろう。泣かずにずっと
我慢していたのだろう?」

 大きな手は、今度は背中を擦った。

「私があの子の訃報を聞いたのは、行軍中でした。それも噂で。もう私、どうかなってしまい
そうで、みんな投げ捨ててあの子のところへ行きたかった。だけど、そういうわけにもいか
なくて」

「そうだね」

「だって、私あの子がいなかったら卒校も、本科生になれたかすら怪しい。候補生だった
2年間、泣かなかった日なんてなかった。何度もやめようと思った。だけどなんとかやって
こられたのは、あの子が支えてくれたから。だから、士官であることを辞めたくなかった」

「良いんだよ、それで。何も気に病むことはない」

 その間も、ゼインの手はやさしく娘を擦り続けた。

「本陣に帰ってから、シェールが生きているって聞いて、それも中央の軍人のところにい
るらしいって言われて、ほっとした。だけど、何で私じゃないんだろうって思ったら悔しくて、
あんなに大好きだったのに何で私何も出来ないんだろうって思って。彼に、エレインもシェ
ールも奪われたような気がして、取り返したかった」

「今でもそう思う?」

「いいえ。先生の言うとおり、私が愚かでした。ごめんなさい」

 そのどこか晴れやかな謝罪を聞いて、ゼインは微笑する。

「では、今日のレッスンは終わりだ」

 ミゼットに手を貸し、起き上がらせる。彼女はお尻が痛むのか、そっとソファに正座した。

「だが、もし君が望むのなら…」

 大きな手が泣きはらした顔をやさしく包む。

「あと少し、ここで甘えていてかまわないよ」

 間近に顔を覗き込まれて、ミゼットは恥ずかしそうに頬を赤らめた。彼の前でだけは、
士官になる前の幼い少女に戻ることが出来る。

「ああ、それから。ジョージアには私から適当に言っておくから、折を見て君も自分の口
から謝りなさい」

 そして、なんだかんだでやはり娘には甘いゼインだった。


 了 2010.4.5 「親友」 あとがき?  こえを聴く

 


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