翌日、ゼインは極秘任務を終えた候補生たちを再び執務室に集めた。今日の彼は殊の外
上機嫌である。

「昨日はご苦労だったね。町長の覚えもめでたく、君達には労いの言葉をいただいた」

 他の候補生がにこやかに教官の話に耳を傾ける中、浮かない顔がふたつ並ぶ。言わずと
知れたテイラーとキールである。本来ならば一番褒められるべき人間なのだが、本人たちも
含めそのことに気付く者はいない。

「そうそう。今回君達を推薦したジョージア教官には、私も感謝している」

 何気なく教官が発した言葉に時が止まった。

「ジョージア先生?」

「ジョージア先生!」

そして、揃って過剰に反応する。

「なんだ、騒々しい」

 素頓狂な声に話の腰を折られ、ゼインがふたりをねめつけた。

「人の話は黙って聞く。君達の大好きなジョージア先生はそんなことも教えてくれないのか」

 一瞬の沈黙の後、やたらと大きくいいえと返す。すべてを否定したかった。

「例年、鬼の役は私が適当に選んでいるのだが、今年はジョージア教官に決めてもらった
のだよ。普段から、君達のことをよくみてくれているからね」

 その後も教官の話は続いたが、もはや二人の耳には全く持って届かなかった。

 そんな調子だったから、ゼインの執務室を出た後も相変わらずふたりは上の空だった。
それ故、反対側から向かってくる足音に気が付いてはいたものの、つい注意を払うのを
怠った。

「挨拶はどうした」

 すれ違い様に発せられた険のある声に、ふたりは慌てて背筋を伸ばす。目上の者に敬意
を払い忘れるなど、ここではあり得ない。

「申し訳ありません!」

「失礼しました!」

 反射的に頭を下げながら、テイラーはその声と先ほどから自分の脳裏に浮かんでいる人物
とが合致した。そして、顔を上げると予想通りの人物がそこにはいた。  

「まあ良い。大方、昨日張り切り過ぎて疲れたのだろう」

 タリウスは溜め息交じりにそう言うと、いくらか表情を和らげた。   

「ともかく上手くいったようで、安心した。チビも楽しかったようだしね」

「楽しいって、あの、どう見ても泣いていましたけど」

 昨日の様子がありありと思い出される。子供相手に本気を出し、泣かした揚句、なんとそれ
は教官の子供だった。 

「やはりお前たちか」

 教官の冷たい声に、しまったとテイラーは息を呑む。彼の隣では、馬鹿とキールが顔を覆っ
た。まんまと嵌められた。

「な、泣かすつもりなんてなかったんです、本当に全然」

「そうです。ただあまりにもすばしっこくて、あの恰好だし、ひとりじゃ敵わなくて、つい。
そもそも子供のくせに足が速すぎなんです」

 必死に弁明する元鬼のコンビがおかしかった。

「確かに、その点では俺も手を焼いている」

「先生もですか?」

 苦笑いする教官に、意外だとばかりにキールが聞き返す。

「鬼ごっこだ、かけっこだと遊んでいるうちに、逃げ脚ばかり速くなってしまってね」

「先生と鬼ごっこすれば、そりゃ…」

 洒落になりませんよね。うっかりとんでもないことを口走りそうになり、慌ててキール
は言葉を切った。

「そりゃ?」

 しかし、それをタリウスは逃さない。

「き、鍛えられますよね」

「そりゃあもう」

 テイラーの協力により、なんとか事なきを終える。

「そうかもしれないな。しかし、楽しかったというのは本当だ。確かに怖い思いもしたよ
うだが、来年も行きたいと言っていたから」

 さあもう下がって良いと、タリウスはその場から立ち去ろうとする。そもそも、昨日の
件はあれでもう決着がついている。この上、咎める気は最初からなかった。

「先生、ひとつだけ教えてください」

 だが、そんな教官をキールが呼び止める。

「テイラーが今回の役に選ばれたのは、地元出身だからなんとなくわかります。でも、
オレは…」

「地元?いや、それは知らなかった」

「じゃあ、どうしてですか?」

 タリウスの反応に、ふたりとも不思議そうに教官へ視線を送った。優等生でも何でもない
自分たちが、何故抜擢されたのか、さっぱりわからなかった。

「一番ふさわしいと思った、それだけだ」

 そう言われても、謎は深まるばかりである。ふたりは互いに顔を見合わせた。

「たとえ結果が出せなくとも、失敗しようとも、投げ出すことなく最後まで努力を怠らない。
お前たちのそういうところを、評価した結果だ」

 教官の言葉はふたりにとって全く意外なものだった。これまで数え切れないくらい叱られ
てはきたが、褒められたのは初めてと言って良い。この鬼はただの鬼ではなかった。

「傲慢なのは困るが、もう少し自分に自信を持っても良い」

 半ば自分に向けた言葉だった。数日前、彼らをゼインに推薦したところ、本当にそれで
大丈夫なのか問われた。だが、彼らを指導しながら自身で導き出した結果である。そう
易々とは曲げられない。しかし、その実彼らのことを一番心配していたのは他ならぬタリ
ウスだった。


 了 2010.3.26 「鬼の子供」 中書き?