資料室を開けに行くと、どういうわけか候補生、それも予科生ばかりでごった返していた。
彼らはタリウスの姿をみると、矢次に質問を浴びせた。いつもこのくらい熱心だったらと思
いながら、適当に答えていくが、一向に解放される気配がない。弟を待たせているからと
言うわけにもいかず、結局ある程度彼らの気が済むまで指導する羽目になった。

 そんなわけで、やっとのことで彼は戻ってきたわけであるが、あれから随分と時間が経っ
ている。幼い弟がひとりでどうしているか、心配でたまらなかった。

「遅い!」

 戸を開けた瞬間、馴染みのある怒声が耳に飛び込んで来た。

「申し訳ございません」

 かつての師、現在の上官に向かって、反射的に謝罪の言葉が口を吐いて出る。

「こんな小さな子をほったらかしにして、どこで油を売っていたんだね。全く困った兄上だ」

 上官は、何故か膝の上に抱えているシェールに同意を求めた。シェールはと言えば、
ゼインが急に怒鳴ったことに驚いたのだろう。目をぱちくりさせていた。

「ああ、驚かせてしまったね。大丈夫だよ、私は良い子には怒らない」

 ゼインは手にしていた小さな缶を開け、中のキャンディを摘みあげる。そして、餌付をす
るようにシェールの口に入れた。途端に弟から笑みがこぼれる。その様子に、お菓子に
釣られたなとタリウスは苦笑いをする。

「どうしたのですか、それは」

 自分の知っている上官は甘いものには無縁な筈だ。

「先ほど予科生から取り上げてきた。だから、それをこんなに喜んでもらうと、なんだか
申し訳ない心地になるね」

「点検をされたのですか?」

 いくら予科生とはいえ、そうそう馬鹿ではない。おいそれと教官に見付かるような場所に、
禁止されているものを置かないだろう。

「そうだ。聞いてくれ、ジョージア」

 そこで、ゼインは何かを思い出したのか、トンと手を打つ。

「全く、揃いも揃って愚か者ばかりだ。彼らは点検は夜にだけ行われるものと、たかをくくっ
ていたらしい」

「つまり、朝一で点検なさったわけですか?」

 抜き打ちで点検すると言っても、大概は教官同士で事前に話し合いが持たれたし、実行
するならば就寝前と相場が決まっていた。

「朝一ではない。朝食の後だ」

 それは事実上の朝一番である。

「ともかくひどい有様だった。ここ最近、教官たちが本科生ばかりに掛かり切りだから、
へそを曲げたのだろうか」

 ゼインは首をひねる。さあと気のない返事を返しながら、タリウスはあることに気付く。

「それで、休日だと言うのにやたらと予科生が兵舎に残っているわけですね」

 候補生たちは、正しからぬ行いをする度に自らの持ち点を減点された。そして、それが
ゼロになったところで身分証を取り上げられる。そうなると、必然的に外出も出来なくなる
のだ。ゼインのことだ。今回の一斉点検で、容赦なく大勢の持ち点をなくしてしまったのだ
ろう。

「ああ、君には悪いことをしたね。誰も居ないと踏んで、彼を連れてきたのだろう。だが、
事前に当直を確認しない君もまた、充分に愚かだったね」

 ゼインは膝の上の少年を撫でまわしながら、平然と言い切る。確かに主任教官である
彼には、滅多に当直が割り当てられることはない。それ故、たまの当直には候補生たち
を震え上がらせるのだ。せめて彼の担当の日くらいは把握しておくべきだった。

「ところで、先ほどから気になっているのですが」

「何だろうか?」

「何故、シェールを抱いていらっしゃるのですか?」

 部屋に入ってきたときから疑問だった。だが、ゼインがあまりに自然に振る舞うものだ
から、なかなか突っ込めなかった。

「可愛いからだよ」

 言って、またひとつシェールの口にキャンディを放り込む。

「自分の生徒の子供が、こんなに可愛いとは思わなかった。特にエレイン=マクレリイは、
まあ問題児ではあったが、当時から高く評価していたからね」

 相変わらずシェールを撫でながら、昔に思いを馳せる上官は、なんとも柔らかな表情を
していた。自分が候補生だった頃には、決して見ることの出来なかった横顔である。

「私は子供がいないから、孫を持つことももちろんないのだろうが…。それは、ひょっとし
たらこんなものなのかもしれないね」

「まだそんなお年ではないでしょうに」

「私も年を取ったのだよ。鬼のミルズも焼きが回ったな」

 ゼインは力なく笑う。  

「オニ?」

 すると、それまで大人しくしていたシェールが短く言葉を発した。

「そう。こう見えて、私は鬼に変身するんだよ」

「オニに?本当?」

 探るような弟の視線にタリウスは笑うしかない。

「頭に角が生えて、それでもって、悪い子を食べてしまうんだ」

 素直な弟がそろそろ本気にしかねない。先生、とタリウスがたしなめる。

「そうだ、ジョージア。この少しも有り難くない二つ名、君に譲ってあげようか?」

「要りません、そんなの」

 考えるまでもなく、タリウスは即答する。自分にとっての鬼は、未だ目の前の上官で
ある。

「そうか?今の君にならあげても良いと思ったのだが」

 ゼインは心底残念そうな声を出した。

「本当に変わったな、君は」

 そう言って、まっすぐに部下の瞳を捉えるのは、あの日と同じ極上の微笑み。


 了 2010.2.24 「鬼の後継」 中書き?