中央士官学校の制服を身にまとったその少年は、先ほどからほとほと困り果てていた。

 彼は小さなメモを片手に、もう何度も同じところを行ったり来たりしている。教官から遣いを
言いつけられ、特別に門限を延ばしてもらったまでは良かったが、目当ての店が見付からな
い。

 彼が空を見上げながら歩いていると、ドンという音と、少し遅れてわっという甲高い声が上
がった。

「あ!ごめん」

 彼の視界には、うなだれて歩く小さな子供が映っていなかった。意図せずに、突き飛ばし
てしまった。

「ちょっと、大丈夫?」

 彼はよろめく子供、シェールに手を差し出す。見れば、その目には涙をたくさん溜めている。
そんなに痛かったかと、彼は焦った。

「うん、大丈夫」

「でも、泣いてるよ?」

「違う。これはその、違うんだ」

 シェールはゴシゴシと目頭を擦る。ぶつかられたくらいで泣いたりしないのだと言わん
ばかりに。

「もしかして、君…迷子?そう言えば、もう子供のいる時間じゃないよね」

 夕方というより夜と言ったほうが良い時間だ。彼の言うように、子供が一人歩きする時間
ではなかった。

「ううん、僕迷子じゃない」

 迷子のほうが数段マシだ。思わずそんなことが頭を巡る。今の自分には帰るところすらな
い。そう思ったら、また新たな涙が溢れてきた。

「えーと、それじゃあ、一体どうしたの?なんで君はうちへ帰らないの?」

 本当はこんなことをしている場合ではないのだが、どうにも放っておけない。

「だって…だってもう帰ってきちゃいけないって。いけないこと、言っちゃったから」

「つまり、誰かに叱られて、帰るに帰れなくなっちゃったってことなのかな?」

 頭の中でパズルのピースを組み合わせていくと、意外と簡単に事情が読めた。

「違うの。もう帰るところがない」

 ちっとも違わないじゃないかと思いながら、彼は苦笑した。こんな子供にも、込み入っ
た事情というやつがあるらしい。

「そっか。で、ちゃんとごめんなさいした?」

「え?………してない」

 シェールは少し考えてから、ぼそっと呟く。つい今し方、自分が悪いと気付いたばかり
なのだから、謝る機会はなかった。

「僕もあまり人のことは言えないけど、自分が悪いってわかっているなら、早めにちゃん
と謝ったほうが良いと思うよ」

「でも…。でも、あまりに悪い子過ぎて、もう、許してくれないと思う」

「それは、それだよ」

 グズグズと泣くシェールに、彼はきっぱりと言い切る。その声に、シェールは泣くのを止
めた。

「君は、自分のしたことを後悔しているんだろう?だったら、今はちゃんと反省したんだっ
てこと、伝えたほうが良い。その結果、もしも許してもらえなかったとしたら、それは悲し
いけど、でもこのまま謝りもしないでいるより、ずっと良いと思う」

 見ず知らずの子供相手に、何故こんなことを言っているのか、自分でも不思議だった。
しかし、そうせずにはいられなかった。

 そもそも以前の自分なら、こういうとき、失態を誤魔化すためにあれこれ画策しただろう。
だが、つい先日、そんなことをしても何もならないと知った。それより、自分を叱ってくれる
人と誠心誠意向き合うことで、多少なりとも成長できると学んだのだ。

「途中まで送っていってあげるよ。どっち?」

 促されて、シェールは小さな指を指した。そして、自分の前に立ってすたすた歩く少年を
追った。

「そろそろ着くかな?」

「うん。そこ曲がったとこ」

「じゃあ、もうひとりで帰れるね。頑張って」
 
 言って、にこやかに手を振る。

「うん。どうもありがとう」

 まだ笑顔にはなれなかったが、それでも頑張って手を振り返した。 

「どういたしまして、って。ええっ?ここだよ、お店!」

 目の前の看板に、自分が捜していた綴りを見付ける。どうやら、教官の書いた地図が大い
に間違っていたらしい。

「むしろ僕が助かった!ありがとう!」

 自分が外出している本来の目的を思い出した彼は、足早に店へと消えていった。

 その場に取り残されたシェールは、今までとは違う重い足取りで歩みを進めた。