シェールはぼんやりと窓の外を眺めていた。特段面白いものがあるわけではない。
ただそうしていると、時の流れていくのが早まるように感じられた。
 あの夜以来、彼の心にはぽっかりと穴が開き、そこからすうすうと風が吹き込んでい
るようだった。

「シェール、ちょっと出掛けて来るよ」

 そんな彼の背中に、タリウスが声を掛ける。

「どこに行くの?」

「教会へ…教父長様のところだ。お前のことを、その、お願いしに…」

 不安気に自分を見上げる少年に、何となく説明が尻つぼみになってしまう。

 エレインの亡き後、シェールは自分と一緒にいると言って聞かず、代わりに彼を預
かるという教会からの申し出を頑として受け入れなかった。行き掛かり上、タリウスはそ
の願いを叶え、シェールの世話を焼いていた。しかし、彼とてそういつまでも自由な時
間があるわけではない。休暇を終え、新たな任地へ赴く期日が迫っていた。

「僕も行っても良い?」

「ああ、いいよ」

 これが最後になるかもしれない。そう思うと、少しでも一緒にいたいと思った。

 数分後、タリウスの前に現われたシェールは、両手でうさぎを抱えていた。
 よく馴れたもので、うさぎは彼の手の中にすっぽりとおさまった。

「連れて行くのか?」

「うん。もう飼ってあげられないから、森へ返してあげるんだ」

「そうか…」

 それ以上、返す言葉が見付からない。
自分の置かれている状況をシェールは充分過ぎるほど理解していた。

「よく来てくれましたね」

 若い教父長は自ら戸口へ立って、ふたりを出迎えた。

「こんにちは、教父長様」

「シェール、少しは落ち着きましたか」

 彼は屈んで子供に目線を合わせる。シェールは曖昧に笑うだけだった。

「ねえ、教父長様。うさぎを放したいから、裏庭に行っても良いですか?」

「もちろん良いよ。でも、森へ入ってはいけないよ。帰って来られなくなってしまうから
ね」

 シェールの姿が視界から消えるのを、ふたりは黙って見届けた。

「なんだかんだで、今まであなたにご面倒をお掛けして、申し訳なく思っています。さ
あ、どうぞ」

 教父長に促され、客間へと入る。

「これからシェールはどうなるんでしょうか」

「正直なところ、難しい状況です」

 彼の顔から笑みが消える。

「シェールを世話してくれるような親戚がいないか、私も調べたのですが…。エレインは
もう何年も前に故郷を捨てていますし、ご主人のほうのご両親は既に他界されています。
ご兄弟などもこの近くにはいないようですね」

「そう、ですか…」

 あらかた予想したとおりだった。エレインが士官候補生となった折に、家族と絶縁し
たという話は仲間内で有名な話だった。また、除隊後に始めた宿屋も、彼女の義父母の
遺した物だということは既に知っていた。

「それでも、エレインはああいう性格ですから、知り合いは多かったようです。みなさん
が彼のためにと渡してくれたお金は、まとまった額になりました。ただ逆に言えば、それ
が精一杯なのでしょう」

「そうでしょうね」

 果たして、それ以上のことが自分に出来るのか。答えは出せずにいた。

「しかし、シェールのことを、本当によく助けてくださいましたね」

 教父長の言葉に、タリウスはこたえに窮する。確かにシェールは救えたが、その母親
であるエレインを失ってしまった。未だに気持ちの整理がついていないのだ。

「タリウスさん、ご自分のことを責めてはいけませんよ」

「いえ。そんなおこがましいことは、思っていません」

 確かにエレインを救えなかったことは悔やんでも悔やみ切れない。もう少し早く異変
に気付くいていれば、あるいは彼女は命を落さずに済んだかもしれない。だが、そう思
う一方で、単なる友人に過ぎない自分が責任を感じる立場にないとも理解していた。

「エレインの最期の望みは、間違いなくシェールでしょう。あなたはご自分の努めを果た
したんですよ」

 最期の瞬間まで、彼女が気に掛けたのは我が子のことだった。だからこそ、タリウス
はこうして彼の落ち着き先が見付かるのを見届けようとしていた。だが、本当にそれだ
けで良いのかという思いも未だ捨て切れない。

「さて、あとは大人になるまでここで暮らすという方法もありますが…」

 言いながら言葉を濁す。

「ここの子供たちの世話をしているのは、ほとんどが同じようにここで育った者たちです。
愛されることを知らずに育った人間が、他者を愛することはなかなか難しいところもある
のかも知れません。大人も子供も、何らかの問題を抱えている者は少なくありません」

 エレインが息子に対して、惜しみない愛を注いでいたことは明白である。教会へ引き
取られることは、シェールにとって困難な人生の始まりを意味していた。

「ともかく、養い親を捜すにしても、ひとまずシェールを預からないといけませんね。あ
なたもお忙しい身でしょうし」

「そうですね。シェールを呼んで来ます」

 釈然としないまま、タリウスは席を立った。外の空気を吸いたかった。