ふたりは息を切らしながら、「銀の翼」と書かれた木戸を抜ける。

「ただいま!」

 少年は叫ぶと、玄関へと消えていった。

「ちょっとシェール!あんた、今日は雨になるから外に行かないでって言ったじゃないの
よ。何でひとの話を聞かないのっ!」

 少年の姿を見るなり、堰を切ったように叱責する声が響く。
 
「マーマ!あの…」

「全くあんたは。風邪ひいて、痛い注射されて、苦い薬飲みたいわけ?」

「そんなのいやだもん」

必死に母親へ訴えようとするが、これでは取り付く島がない。

「ちっとも言うこと聞かないんだから。今日はママのお膝の上で泣いてもらうわよ」

「待って、ママ。話を聞いて!」

「なに!」

 今にも少年に噛み付きそうな勢いである。

「ママにお客さん」

「っ!先に言ってちょうだいよ」

 息子の言葉に顔を赤らめ、手の甲で額を打った。

「ごめんなさい。お待たせして。しかも、お恥ずかしいところを…」

 玄関へ続く戸を開け、客人の顔を見た途端、彼女は目を見張った。

「タリウス!」

 思いがけない再会に、彼女はタリウスの首に飛び付いた。

「おい、エレイン。やめ…」

「だって、あなたが来てくれるなんて思わなかったんだもの。とにかく入って」

 動揺するタリウスの腕を強引に掴み、家の中へと招入れる。

「あんたは身体を拭いて、着替えてきなさい。今日のところは目をつぶってあげるわ」

 そんな様子をぽかんと見ていた息子を、エレインが一喝する。母親の言葉にシェー
ルは胸を撫で下ろし、奥へ消えていった。

「しかし、そっくりだな。そこで会ったとき、すぐにわかったよ」

 外套を脱ぎながら、タリウスが笑う。

「あはは。よく言われる。でも、どうせなら旦那に似ててくれたらな。もっともっと成長
するのが楽しかったかも」

 言って、一瞬顔を曇らせる。

「もう四年になるのか」

「もうなんだか、まだなんだか。あの時は訳が分からなくてろくにお礼も言えなかったけ
ど、あなたには感謝してるわ」

 戦死した夫の葬儀のことはおぼろげにしか記憶にない。それでも、親しい仲間の顔が
そこにあったことだけは、覚えていた。

「俺は、別に何も」

「いてくれただけで充分なのよ。それに、こうしてまた顔見せに来てくれるんだもの。
つくづくあたしも良い後輩を持ったものだわ」

 陰鬱な空気を吹き飛ばすが如く、エレインはカラカラと笑った。

「しばらく居られるんでしょう?ゆっくりしていってよ。うちは見てのとおり、閑古鳥だ
からさ」

「ああ、そうさせてもらうよ。ん?」

 そこで、着替えを終え戻ってきたシェールと目が合った。自然と目付きがやわらかくなる。

「いらっしゃい」

 エレインは振り返って、息子を呼び寄せる。

「タリウスよ。ママのお友達。アンタが生まれる前、お城で働いてたって言ったでしょう。
そのときに、なんだかんだでいつも助けてもらっていたのよ」

 女性士官の道は険しい。上官である夫と結婚するまでの間、彼女がなんとかやって
こられたのはタリウスの助力に依るところが大きい。

「それはお互い様だろう」

 謙遜から言ったわけではない。人付き合いの苦手な彼にとって、エレインは数少ない
理解者であり、良き相談相手だった。

「さて、疲れたでしょう。シェール、お兄ちゃんを二階に連れてってあげて」

 そろそろ夕食の支度に取り掛かる刻限だった。旧友と語り合う時間は今後もまだある。
エレインは、長旅で疲れたであろうタリウスを気遣った。